美しい国、という幻想(1)パリ建築遺産博物館の場合

エッフェル塔の正面にあるシャイヨー宮のパリ建築遺産博物館にて、現在ふたつの環境・景観系の2つの展覧会が同時開催されている(会期はともに2011年3月23日 - 7月24日)。

ひとつはフランスを中心とする都市緑化プロジェクトを紹介した"La ville fertile(肥沃都市)"展
もうひとつはドイツ系ブラジル人で1994年に亡くなったランドスケープアーキテクト(フランス語だとpaysagisteペイザジスト。ちなみにいわゆるランドスケープlandscapeに相当するフランス語はペイザージュpaysage)でロベルト・ブーレ・マルクスの回顧展

都市計画研究所時代の友達が、勤務先のあるブリュッセルから両親の実家のあるパリに復活祭休暇を利用し週末に戻るというので、会うことになった。わたしが日本食レストランの選択をし、彼女が展覧会の選択をした。環境・景観ゼミ時代の同級生であるので、建築遺産博物館という選択は最初はとくに気にも留めなかったけれど、約束の日本食レストランへいく途上で、彼女のポルトガル系フランス人という出自とサンパウロでのゼミ旅行中の彼女の流暢なポルトガル語を思いだした。ロベルト・マルクスのコロニアルスタイルの自邸をみると、ポルトガルって感じだよね、と嬉しそうに語っていた。

ロベルト・マルクスサンパウロ生まれのドイツ系ブラジル人。ベルリンで絵画を学んだ後にブラジルに戻り、リオの国立美術学校で学ぶ。造園家としてルチオ・コスタ、オスカー・ニーマイヤらと協働し、またル・コルビュジエのプロジェクトに参加し、土と緑にあふれ草いきれで充満する生命力溢れる庭園を建築や都市にもちこんだ。世界各地に活躍の場を広げ、晩年の1993年にはクアラルンプール空港にあるペトロナスツインタワー(設計はシーザー・ペリ&アソシエーツ)下の植栽を手がけた。フランスでは、パリのユネスコの庭園にパティオを作ったり、ポンピドゥーセンター4階のテラスをてがけ、フランスとも浅からぬ関係があり、1983年にはパリ・ラ・ヴィレット公園コンペの審査委員長をつとめるなど、フランスとの浅からぬ関係があった。ちなみにその活動は造園家にとどまらず、多彩で、植物採集を行い自邸の温室で栽培しながら、傍らで、画家、彫刻、版画、陶芸、舞台美術、宝飾デザインをエネルギッシュに手がけ、沢山の業績と大量の作品を残した。展示では、自邸で開いたホームパーティで、ドイツじこみのオペラを朗々と歌う老人となった造園家の映像が流れていて、南欧系のエネルギッシュなオジイチャンは本当に人生楽しそうである。そのパワーが、ロベルト・マルクスをブラジルを代表する造園家の位置づけに押し上げたともいえるだろう。

ちなみにロベルト・マルクスが近代建築の文脈でブラジルを代表する造園家と位置づけられるようになったのは、造園と建築、都市を一体化させる総合的な活動のためであったようだ。ロベルト・マルクスは自らのプロジェクトの計画図をキュビズム風の油絵風として残している。逆に言えば、造園と絵画を結びつけることで熱帯の緑の空間に同時代の抽象絵画の構成をもちこんだことがみそだ。友人に、なんで今ロベルト・マルクスの回顧展なんだろう?と疑問をぶつけたら、ウーン、彼はブラジルのような熱帯の植生の魅力をヨーロッパのペイザジズムに持ち込んだことに功績があったのだと思うよ、と教えてくれた。

ロベルト・マルクスがヨーロッパと南米を結び新たなペイザジスムのありかたやその価値を創りだしたとして、それでは、なぜそうした人物の回顧展をこの時期に行ったかを、さらに政治的に考えれば、フランスにおけるペイザジズム、というよりはペイザジストという職能の地位を確立するための動きがあるだろう。そこには、グランパリ計画にみられる、ペイザージュを軸にした都市整備によるヨーロッパ全体の環境政策の推進と都市の再編成がある。

美しい国」という掛け声が日本では数年前に政策化され、しかし首相たちのあいつぐ交代のうちに、いつのまにか雲散霧消となった。この言葉の胡散臭さ、偏狭さ、素朴さの陰に隠した恐ろしさを、本当はここであげつらって書きたかったが、“美しい+都市”と“美しい+国”が、似ているようで、その背後の政治的意図、権力構造がまるで異なることを、大地震が露呈した日本国家の原発政策の利権主義の破綻は“美しい国”というレトリックのもつ真実を露呈した、と思うのだ。

話を極東からオフランスに戻すと、近年、フランスの都市計画ではペイザジズム(英語だと、ランドスケープアーキテクチャー?日本語だと、いわゆる“造園”が近いでしょうか…)がますます重視されるようになった。その背景似は環境問題のグローバル化、そしてヨーロッパ全体における環境の共通政策化があるだろう。そこで、ペイザージュに対する関心を高めようと、建築遺産博物館やパリ市の建築都市計画局が運営するパヴィロン・ダルスナルにおけるペイザジスム絡みの一連の展覧会や講演会である。

いわゆるスターアーキテクトに相当する、スターペイザジスト(←造語です)と位置づけられる方々が、ごく少数ながらも、いなくはない。ただ、彼らペイザジストの講演会を見にいくと、お顔立ちも表情も一様に品良く、控えめで、寡黙でありながら、朴訥とした喋りをする方々が多い。たとえばクリスチャン・ド・ポルザンパルク先生のような、唾を飛ばして機関銃のように喋り捲る自己顕示の権化のような多くの建築家+関係者たちとは、生の次元が異なる気もする。理論武装した建築家や都市計画がたにくらべて庭園家たちは言葉がたたないからだろう。緑とたわむれてよい空気を吸いながら仕事をしているとこんなに変わるのかと思うほど、若いときに植物を選ぶかコンクリートを選ぶかで、人間の人生はだいぶちがってくるのだろう。 

これは、多少偏見をまじえて言えば、都市計画業界の表舞台で、様々な意思、権力、利権と協調、妥協しながら利権争いを繰り広げる肉食系の建築家や都市計画家たちにたいし、ペイザジストが環境的価値を彼らの提案するプロジェクトに対して付加する役割が求められてきた、もしくは、いる、ことも関係あるのだろうか。ピエール・ドナディウなどは著書の中で、ボザール系の建築学校を卒業した建築家や都市計画家に比べて、フランスの国家的ペイザジストの大半を輩出した少数精鋭の名門・国立ヴェルサイユ庭園学校(ヴェルサイユ・ペーザージュ学校に改変)で、建築学校の学生が卒業時に国家公認建築家の資格を取得するように、ヴェルサイユ学校の学生が国家公認ペイザジスト資格Paysagiste DPLGを取得しても、“造園家”の賃金が相対的に低いことを指摘していた。ペイザジストが特に華やかな舞台にたつ建築家に対してかなり地味な存在であったのは事実だろう(誰も公園や川辺の植栽に“作者”がいるとは、多くの人は考えないだろう)。

名誉欲と自己顕示欲の権化と化しがちな建築家たちに比べて(…といったら怒られそうだけど)、そんな俗世の名誉などあまり気にせず、土と緑で美しい景観を作りあげるぞ!ぼくは自分の職能を全うするのだ…!という、これもかなり偏見まじりかもしれないが、ペイザジストという存在の清新さは、泥臭い都市づくりのなかでは一種の美徳のシンボルかもしれない。

ただ、ペイザージュが、建築のはしたもの、もしくは単なる観葉植物か緑の添え物、いわば刺身のつま、であった時代が少なくともヨーロッパではすぎた感がある。近年の環境志向の高まりに伴い、フランスのコンペでは、環境コンサルタントやペイザジストのコラボレーションが必須条項に掲げられることも多い。ペイザジズム重視の流れが急速に高まる中で、ペイザジスト側からの発信、発言力の強化をめざしていた。そんな意識が、少なくとも一部のペイザジストたちの中で芽生えているのは、パヴィロン・ダルスナルで行われるペイザジストの講演会の司会を務めるミシェル・ペナ(←都市計画研究所で講師をしてた…)の言葉から垣間見えていた。もしくは、より政治的な流れとして、環境都市づくりの目玉としてペイザジストと彼らの計画を都市整備の中に積極的にとりこむことで今後の都市拡張を進める国家的な意図が働いているとも思われる。

そんな流れの中で、最近ではスターアーキテクトならぬスターペイザジストの傾向が生まれている。フランスのスター・ペイザジストとしては、建築家のように個人事務所を経営し(政府や地方公共自治体のみに属すのではなく)、メディアにプロジェクトに顔と名前が出ていて、著作があるようなペイザジスト、がそれにあてはまるだろう。

たとえば、フランスは1989年以来、フランスの国家的な都市計画家(ユルバニスト)を毎年選ぶユルバニスム大賞を開催しているが、2000年代に入るとペイザジストが大賞を受賞し話題となるケースが出てきた。2000年にはアレクサンドル・シュメトフ(ポール・シュメトフ先生のご子息)、2003年にミシェル・コラジュー(1992年に当時のエコロジー省のペイザジスム大賞を受賞した大御所的ペイザジスト。ただコラジューはヴェルサイユ庭園学校出身ではない)らが都市計画家や建築家を押しのけて受賞した。また最近では、サルコジ政権下におけるグランパレ計画推進の流れの中で、2009、2010年と社会学者、経済学者が続いたが、今年2011年の大賞受賞者として、今が旬のペイザジストといえばこの人、ミシェル・デヴィーニュの名前が発表された。ミシェル・デヴィーニュは慶應三田キャンパスの新「萬來舎」改修で隈研吾とコラボレーションしたので名前は2011年ユルバニスム大賞に見事輝いたことでも記憶に新しい。
*(フランスも大統領交代で省庁の再編成と名称変更が行われるのでまぎらわしい。。省庁名が間違っていたらすみません)

ちなみに、1990年からConvention européenne du paysageにもとづき国家が隔年で選ぶGrand Prix du Paysage(後にTrophée du Paysageとなる)が存在し、当初はペイサジスト個人に対して、のちにペイサージュ計画に対して大賞を授与していたが、そちらは2007年でなぜかうちどめとなった。
また将来有望な建築家を選ぶ目的で文化庁が主催するフランス若手建築家の登竜門・ヌーボー・アルバムは、若手ペイザジスト部門も存在する。またエコロジー・持続可能開発整備相が発表する若手ペイザジストに対する賞制度などもあり、“ペイザジスト”を独立した職能として社会的に認知させる仕組みが整備されている。

そんな現状を考えると、こうした受賞制度が、ペイザジストを都市計画や建築の分野にとりこみ、一体化させることで、ペイザジスムの環境分野における重要化、つまりは政治化と、ペイザジストの地位向上が目指されていることは確かだろう。このように、フランスにおいてはペイザジスムが未来志向の国家政策の一部となる流れが存在する。

その他、建築の分野でも、例えば緑化建築でフランスのコンペや美術展でよく声のかかる、ボンサイ建築の大家、エドワール・フランソワのように、住宅にファナティックなまでに植物を植え込むデザインを行う建築家が活躍している。これは、コンペの植栽条項を満たすには効果的らしい。

続きはまた明日。

【参照】フランスの現代の都市計画とペイザージュについて林要次さんコメント