メモランダム:建築・都市・映画に関して(2)

ほんの少し前まで、映画もテレビもサイトスペシフィックなメディアであった。
かつて映画館は動画をみることが唯一可能な場であり空間であったし、テレビ番組は、室内に設置された受信機の前でみるものであった。リュミエール兄弟が19世紀末にパリのカフェに人を集めて短いフィルムを流して以来、動画は長い間サイトスペシフィックな表現であった。テレビが登場すれば、テレビ受信機は家庭の中心(ホワイエ)となり、文化の中心となった。

そんなサイトスペシフィックな映画、映画館の時代を越えて、21世紀において、動画は、私たちの生活のあらゆる場所に偏在するようになった。スマートフォンYou Tubeの映像を眺め、子供の成長を前にして何気ない動作を撮影してみたりもする。子供や若者は街に出て携帯型ゲーム端末機を持ち歩き見知らぬ相手とゲ交信する。電車の車内では電光掲示板にその日のニュース映像が流れ、高速道路上には渋滞情報が流れている。怪我をして病院にかけこめば、待合室の壁にかかった液晶画面に待ち人数が表示され刻一刻と変化している。インターネットの普及と回線の高速化、液晶画面の低廉化とノートブックやスマートフォンなどの携帯端末の普及は、動画の偏在化に拍車をかけた。

こうした液晶画面の普及は、都市のスクリーン空間化である。私たちはもはや、場所や空間にしばられることなく、どこにいても物語が見られるようになった。