メモランダム:建築・都市・映画に関して(3)

物理的レベルで言えば、かつてはキャメラが作り手側にあり、スクリーンは観客側におかれていた。
現在も、物理的にはそれは変わらないのかもしれないけれど、たとえばYoutubeの映像のように携帯端末で撮影された映像の多くは、撮り手もまた観客であり、印象的にはキャメラがかつてあった場所に、スクリーンが置かれているようだ。
現代において、生きられた家とは、スクリーン空間化された日常の集積である。