アニッシュ・カプーア展@エコール・デ・ボザール

インド出身で英国を拠点に活躍する彫刻家、アニッシュ・カプーアAnish KAPOOR。
パリでは現在、カプーアの展覧会が3か所で同時開催されている。
その中のひとつで会期のもっとも短いエコール・デ・ボザールでの展示(Chapelle des Petits-Augustins de l’Ecole nationale supérieure des beaux-arts)を見てきた。


BMW財団主催のコンクールで復元されたというボザールのシャペルに入れるのは貴重な機会。

正方形の木製の台の上にセメントをチューブ状に積層させた2.5mほどの長方形のタワーが14体(だったと思いますが)、礼拝堂の身廊に2列左右対称に配置され、教会内部に新たな身廊が出現したようである。セメント彫刻のフォーマットはすべて同一だが、そのマチエールは各タワーで異なる。彫刻のかなりブリュットな質感が、一見すると手仕事風だが、実際にはコンピュータ制御マシーンでデザイン、制作されたそうだ。ひとつひとつのタワーの差異が機械的セリーとして調整されたことにより、いびつに見えながら全体として整然とした統一感をもつ。建築の原型を思わせる構築的形態、ブリュットな自己生成のモチーフなど初期カプーアの作風が思い出された。

環境を風景化すること。インスタレーションを展示空間に設置したときに、どのような風景を生成させるか、その構想力と実現力が作品としての成否を決定する。風景は主観で捉えられたイメージであるなら、展覧会の風景は、展示側が作品展示を通じて鑑賞者の知覚する環境を操作し風景を誘導する役割をはたす。

環境としての展示空間をいかに解釈するか。この解釈が失敗すると設置作品は視野の中の異物となり作品風景は構築されない。今回の場合は、ボザール内部の普段は閉じられた礼拝堂という空間的環境や内陣のミケランジェロ天地創造』や聖堂内に置かれた棺を思わせる仰臥像など、割合に宗教性の高い既存作品の中に、カプーア作品をいかに設置するかが問題になる。

そこで、カプーアは抽象的な黒ずんだセメントのヴォリュームを選ぶ。このセメントのマチエールが、荒々しく起伏を描きながらひとつの独立したアーキテクチャーを存在させるところに、人体と内臓器の関係を自然と想起させることが鍵だ。内部を持った抽象的なヴォリュームは、褪色した宗教画=キリストの肉体の死や解剖体を模した仰臥像のとなじみ、 “異様”の風景を現出して視線を奪う。展示空間内部に入りこむと、鑑賞者の身体を包み込むヴォリューム感、彫刻の間を通り抜ける動線のスムーズさや、絵画や彫刻群、カプーアのセメント彫刻が無理なく鑑賞できる展示場の“心遣い”に、売れっ子現代作家に共通する実利的な機能主義を感じさせられた。

カプーア作品にみられる“空虚”、今回は四角く囲まれた面の隙間に穿たれていた。内部をのぞくとうす闇の中でセメントがくだを巻いている。時間の断絶が隠されているようで、いったん隙間から身を話して外部の空間に顔を向けるとモニュメンタルな展示空間の風景が広がる。

隙間の中の薄闇もまた風景の一部とすれば、そこには何が見えるのだろうか。現代美術と古色蒼然とした倉庫のようなシャペルがで、隙間からのぞいた薄闇にはモノに対する相変わらずの偏執が隠されていて、モノ作りの行為がそれほど単純ではない回路を含むことをあかしているように思えた。