二項対立

ハルココロ

「二項対立」


二項対立って英語でナンていうのだっけ…とか思って辞書を引いても、そのまま出てきにくく、英訳するとき困ったりする。
Dichotomy
Dualism
Binominal.
あたりかな。。日本語の通常会話の文脈で、二項対立的な、というのは、英語の文脈で言うのとニュアンスが異なってくるので、難しいのかもしれない。

他に、日本語ではよく使うけど英語でなんだっけ…と思う単語では「宇宙人」が思い浮かぶ。

さて、宇宙人問題。日本語で「宇宙人」といえば共通的な豊かなイメージがわく。宇宙人はいかに表象されてきたかといえば、かぐや姫はともかく、近代における「宇宙人」とは。タコがシューシュー円盤にのりながら、「ワ・タ・シ・ハ・ウチュー人・デス・・」などというどこか牧歌的なイメージがつきまとう。

しかし、前々から疑問だったのだけど、そもそも「宇宙人」はどこからやってきたのだろうか。

つまり、宇宙人が指示する概念に対し、文化的な差異は存在するか。存在するとすれば、それは何か。以下、思いつくまま宇宙のかなたへと思いをはせる。

英語で「宇宙人」に相当するのは、Alien(エイリアン)、より説明的?にはExtra-terrestrial(ET)あたりかしら。。これらの単語は日本語の宇宙人にそのまま相当するのだろうか。He is alien ! というと、どんなイメージが湧くのだろうか。まあわたくし日本人なので定かではないけど、「あいつは宇宙人!」というよりは、かなりきつい響きに聴こえるのではないか。

ではそもそもAlienとは何か。

Alien :
Adjective
1. strange and frightening; different from what you are used to.
2. (often disapproving) from another country or society; foreign.
3. - to do sb/sth (disapproving) not usual or acceptable
4. connected with creatures from another world.
Noun
1. a person who is not a citizen of the country in which they live or work.

(cf. Oxford Advanced Learner’s Dictionary 7th Edition)


Alien の語源はラテン語のalienus(別の)。ここからaltro(伊), else(英), autre(ホトケ)となる、と思う。

つまりエイリアンとは、基本的には主客の関係にもとづく。主体が認識した客体である。つまりエイリアンは、二項対立関係を前提としてしており、それがいったん人間=理性の主体=地球生命体とされると、自動的に地球外生命体=非・理性の客体となる。つまりエイリアンはあくまで非・人間なのである。たぶん。

ところで、ラテン語の面影をより残すイタリア語やフランス語のStranieriやEtrangerが英語のStranger、Strangeと関わるように、「外国人」を意味する単語は、"Stra=>Extra"のように、そもそも内部に対する外部のもの、の意をもつ。そこから、よく分からない…、変、言葉も通じない、と派生していった。

これは、たとえばForeignの接頭語のForisがやはり外側を意味し、ここからForest(外側の森)が派生していることとも通じる。つまりヨーロッパ的な都市と森の対立を支えるのは、内側と外側、つまり人間の住む理性の世界とそれ以外の非理性の世界の二項対立が空間的な現れであり、人間と非人間の二項対立が都市においては空間として視覚的に表象されるにいたった。

そうした二項対立は、逆説的だけど、ヨーロッパ圏における汎ローマ性という共同幻想が支えるのかもしれない。パリにいるとヨーロッパが大陸だと実感する。ひとの移動が大きくて、特に都市部では様々な顔や体系が存在する。そして、話をしていると、「フランス人」であっても、父親がイタリア人で母親がドイツ人だ、とか、結構普通にフランス人として存在している。もちろんそれほど単純ではないにしろ、つまりバックグラウンドとして大ローマ文化という共通幻想?を共有していればどうにかなる…という安心感がどこかでユーロ圏を支えるのかもしれない。人間とは何か、それはバイブルを抱えたローマ市民である…という。EUにトルコが加盟するかいなかというのもこのあたりに議論があるのかもね、とか。

それにくらべれば、日本人とガイコク人の対立は、内と外、という区別とはチョット異なる感じがする。単純に単語レベルでいえば、ガイコク人、外の国のひと、ということで、国をベースにしている。そこでは、国の内と外、という感じがしないでもない。しかし、日本とは何だろうかと考えたときにその基準となる「国」というのが非常に曖昧で不可視な概念であることに気づく。Stranieli, Etranger, Strangerは「異なる習慣や言葉を喋る→変、不可解→ガイコク人」という図式である。ただ、変で不可解なひとたちがかならずしも「ガイコク人」ではない、当たり前ではあるが。変なひとはやっぱり仲間の日本人でもありうるのだ。逆に、とてもまともで素敵な人でも、「ガイコク人」は永遠にガイコク人であったり。

日本における「ガイコク人」は、言葉や風習よりも、やはり身体的な区別が大きいだろう。「ガイジン→金髪碧眼」ではないけれど。日本の中に「外国」はなかなか成立しにくく、また「日本人」が「日本」のそとになかなか恒久的な「日本」を作れないのはなぜかと考えると、日本や日本人という概念が、空間というよりももっと身体に近い概念だからかな、とか。黒髪で小柄で穏やかそうな極東人。そうでない感じの人はガイコクジン。同質性の問題である。そこまで単純な問題ではないことは重々承知だが、少なくともごく一般的な庶民感覚だとそんな感じではないか。そして、ガイコクにいると、見た目で「日本人」であるかは感覚的に割合容易に同定される。

ただ、「日本」内部において、「ガイコク人」という対立概念はそれほど必須なものではなかったのではないか、とも思う。恒常的に「ガイコク人」がいるわけでもない島国的環境で、たまにあらわれる「ガイコク人」は、むしろ日常のけの世界に晴の世界の空気を運んでくるひとたちだ。イマドキ喧伝される日本国内のガイコク人フォービアというのは意図的に作られたもので、日本は伝統的にはガイコク人好きだと思う。「あの外人さんは…」という響きと、「あのエイリアンは…」という響きでは結構違うしね。

まあ宇宙的な印象論ですけど。

話はずれたけど、二項対立。日本的な内と外の親和感は、「宇宙人」をも、人間との間に絶対的な二項対立をもたらさず、宇宙人と人間が隣り合い生きる道を選ばせる。

ところで、わたしたちは日本語で、「宇宙人」という単語をどのような気分で使うか。アライアンという言葉ほどきつくない、タコの吸盤をシュウシュウさせる、コミカルで、しかし絶対的な異邦人である。

それではなぜ日本語において、宇宙にすむ人、という意味での「宇宙人」という単語が必要とされ、聞きなた語彙群に加わったのだろうか。逆に、なぜ英語では、人間に対立する意味での「宇宙人」の概念に、「ガイコク人」を主に意味する単語が援用されることになったのか。

ここに、日本語における「宇宙人」という言葉のある種の牧歌性が浮かび上がる。どんな過酷な現実も、冗句で包んで日常化しようとする。人間と決定的に対立する存在も、エイリアンとはよばず、「宇宙人」として言語化、分節化し、どうにか理解しようと試みる。その証拠に「宇宙人」は、Alienと異なり、必ずしも、奇妙で、かつ、他者を怖がらせる存在として想定されていない。宇宙人は単に地球とは別の惑星に出身地をもつだけであり、性格的には非常に友好的な宇宙人も多数存在すると想像される。

ここが、ガイコク人とAlienの大きな違いだ。ガイコク人は人間でAlienは人間ではない。ここで重要なのは、宇宙人はたいてい理解可能な言語を操ることである、かもしれない。必ずしもそうとはいえないという反論はありそうだが。

創世記は「初めに言葉ありき」から始まることで有名だ。聖書的世界観において、認知的な世界を分節化するのは言葉であるということだろう。ところで、旧約では、少なくともバベルの塔が破壊されるまでは、世界津々浦々?で同一言語が話されていたという前提が、キリスト文化においては解釈されている。つまり、高密度居住を目指した虚栄のバベルが壊されることで、外国語が誕生したのである。それは、Alienが外国語と宇宙人を同時に意味するのは、かように大きな大陸における言葉の伝達性の重要性を思い起こさせる。ラテン語オリジンの言語は同質性をもつので、言葉が決定的に通じないという事態は宇宙人と遭遇するぐらいの大事件なのかもしれない。それは恐怖体験だ。

それに引き換え、日本語を母語として日本国内で育った人間は、日本国内にいるかぎり日本語と非・日本語の対立を感じる機会がほとんどない反面、日本国外に出たときに日本語とそれ以外の言語の決定的な断絶を感じつづける。そして自分がAlien的存在であることを自覚する。

そうした極端な事態を日本母語者が日本国内で体験するのは少ないだろう。そうした融和性と断絶性の未分化な状態が、日本語を喋る「宇宙人」を生み出す。宇宙人という概念的存在でさえ、言葉は通じる、つまり言語の差異が意識されることのない環境であることが、宇宙人的存在にたいしても反映される。ここで、宇宙人は絶対的他者ではなく友好的…なふりをしつつ侵略者としての共謀性を持つ、日本的な感性が醸成される。

宇宙人さえ二項対立を保証しない。それほど内と外の対立がはっきりしないのがニッポンかもしれない。本当かしら。

あまり本気にしないでください。。理屈ではなく感覚です。

http://d.hatena.ne.jp/haarhurryparis/20081008