直島旅情:2日目

harukomatsumoto2007-08-20

夏は動かないほうがいい…と思っていたらあっという間に時間ハ過ぎ去った。先月末にアントニオーニが亡くなり、真夏の太陽にさす影のような哀切と人生の転換点をシミジミ感じていたら、今日は山口小夜子の訃報が伝わる。わたしの中で2人の共通点は、数少ないホンモノをみたことのある有名人…。クリントン少年がケネディに出会った瞬間が人生の行き先の決定的な道標たりえるように、庶民にとってある種の「有名人」をナマで見る体験は生の連続の中に時に不思議な残像を残すものである。数年前に小さな立食レセプション会場で、山口小夜子がひとり所在なげに隅のあいたテーブルに腰かけていた(会場の中央には焼きそばとか焼き鳥とかビールとか小夜子嬢は絶対お口にしそうにないもののてんこ盛り)。コソコソ近寄ってみたら、遠目の華奢な印象とは異なる骨格の大きなヒトで、存在の透明なヒトだった。世の中には分類不可能なヒトやコトというのがあるもので、何かアリガタイモノを見てしまった…という記憶が残った。イマサラ考えても50代半ばであったとはにわかに信じがたい。200歳くらいに見えた。合掌。


ところで直島2日目。


高松→(JR四国)→丸亀市猪熊弦一郎現代美術館→(JR四国)→金刀比羅宮旧金毘羅大芝居→(琴平電鉄)→香川県庁舎。



丸亀の美術館ではエルネスト・ネト展。ブラジル出身のエルネスト・ネト(1964年生)は薄い透過性の伸縮性のカラフルな布を展示空間にはりめぐらせるインスタレーションで有名。がら入りフワフワクッションに思い切り寝転がりボール入り変身ワンピースを着たり、快楽の赴くままヤリタイ放題楽しめる。




視覚的にも体感的にも軽くてやわらかく明るい空間は、イマドキのある種の理想郷のあらわれである。全てを許されるようなフワフワした優しさがここちよくて、この上手さにコウルサイ根性はツイツイ丸めこまれて幸せな眠気に誘われる。もしも自分で住宅を設計するなら4畳半程のスペースをネトっぽくしたら結構売れるかもな…などと考えた。本展は丸亀のみで巡回無しだそうなので、讃岐にお寄りの方はぜひとも。


その後、金刀比羅宮の階段を中途までのぼり、下り、現存する日本最古の芝居小屋、旧金毘羅大芝居を観覧。


琴電で市内に戻り、うどん屋を探し求めつつ夕暮れ時の香川県庁舎。



写真正面が旧庁舎、奥が新庁舎。旧庁舎は1958年の丹下健三の高度経済成長期の代表作。竣工後約50年を経た現代建築が使い続けられていることを知った時、軽い驚きを覚えた。東京的常識では考えられない。歴史の教科書に迷いこんだ気分に襲われた。




けれど、粗っぽい鉄筋コンクリの庁舎建物をキチンと大事に使用しているのをみていると常識こそがおかされているようにも思い至る。50年の建物を使い続けることそのものは地方財政の規模の反映とも言えるのかもしれないし、現実問題としてTOKYOが日本の一都市である以上にTOKYO=JAPANとして世界と張りあわなければならないとすれば、虚飾的ないきおいも必要だろう。けれど、海風をせきとめて夏をますます暑くするビル開発を眺め、幻想としての需要をムリヤリつくりだし決定的な失敗を重ねつづけている予感がさせられないでもない東京という街の現状をながめていると、やっぱりナニかがおかしい気がしないでもない。有楽町の旧都庁舎が西新宿の金ぴか見栄っ張りなゴシック聖堂に変身し、窓ふきだけで都民税が大量に食べられちゃってるかと思うと、時間のもつ美しさを立ち止まって考えたいとも思うのだ。ビル風の暑さにやられる前に。