直島

アントニオーニ逝去の報に接した瞬間、ある時代の終わり、と客観的に受け止められた。けれど空虚感は次第に深められていく。近親が亡くなるとお葬式やら埋葬やら事後処理に追われるのだけれど、まったくの他者、だけれど、思い入れのある対象の場合は、瞬時に感傷に追われるのかもしれない。無責任な立場であればあるほど、感情的に失われるものも大きい。得るものが何もないからかもしれない。作品を直接体験するよりも間接的な情報のほうがむしろ心をつきさすこともある。たとえば地中美術館の館内の記憶は情報としては残っているけれど心を奥底まで響かせる瞬間には邂逅しなかった。単に感受性の多寡の問題なのだろうか。


実際の所、芸術家の死はあるきっかけにすぎないのかもしれない。小説家は死の瞬間から忘却が始まる、その日から50年間で著作権が切れるから…という言辞を聞いたことがある。80年代半ばに病魔に襲われて以来、「作品」と呼びえるフィルムを作りえなかったアントニオー二だ。実際の所、あと10年、作家活動を続けえたとしても観賞に耐えうる作品は作りえなかったかもしれない。それでも、やっぱり死は重いものだし感情を割り切ることなどできないのだ。


ミケーレさんのお誕生日である9月29日までにお墓参りに行こうかと思っている。そのためには調査も必要かと思うけれど、お葬式が故郷フェッラーラで行われるとあれば、フェッラーラにあるであろう名士アントニオーニ家のお墓に埋葬されるのではないか。


ネット時代の現在は、たとえばローマ郊外のEURの地理でさえGoogle Mapで瞬時に発見できる。しかしわずか数年前の20世紀末、わたしははじめて長期滞在したローマをふらつきながら、ひたすらインテリっぽいローマ人をつかまえては、ドヘタなイタリア語をまくしたて「アントニオーニの「太陽はひとりぼっち」の舞台はどこですか?」と質問しまくることで、どうにかEURという地名やその場所や交通を発見したものだった。回り道であったからこそ、情報の余剰部分に触れることができた、というのは、単なる負け惜しみだろうか。


情報は貴重だ。けれど、今でさえ、最も大事な情報は実際には得難いものである。だからこそ、ある場所で身を賭して何かをさがしあてようとする行為は時代を経て貴重となる。


ところでここ数日、直島&讃岐に行った。愛するアントニオーニさまの前で、瀬戸内海に映りこむ陽射しに輝いていた直島経験も影に入りがちである。しばらく感傷にふけりながら、アントニオーニ追悼・映画鑑賞に励もうかと思う。