「伊東豊雄 建築|新しいリアル」「〈生きる〉展」

「伊東豊雄 建築|新しいリアル」@神奈川県立近代美術館葉山
「〈生きる〉展」@横須賀美術館




梅雨の霧雨をすりぬけて三浦半島の海辺に建つ新しい美術館に出かけた。


葉山の伊東豊雄展。神奈川県立近代美術館葉山は神奈川県美のアネックス(本体、鎌倉別館、葉山館)として2003年に開館した。葉山マリーナの先の一色海岸のそばに立ち、美術館の裏手をぐるりとまわると真っ白な砂浜に出る。



昨年末に初台のオペラシティーアートギャラリーで行われた同名の展覧会とは一見似ているけど全く新しい展示になり、力強い展示空間が現出していた。4〜5月にかけてせんだいメディアテークでの巡回展を経てパワーアップしているのかな…とも予測する。初台の展示は仲良しクラブ的雰囲気が鼻についたのだけど、今回の葉山の展示はそんなナルシシズムが介入する余地などない。クリエイティビティを積み重ねることで研ぎすまされる表現の核心に近づこうとする構成が感動的で、その進化の度合いがさすがというか、余人の追随を許さないと言うか、改めて凄いなあ、と思った。個人的には「中野本町の家」解体時に書かれたトヨオ氏のナマ原稿(コピー)を読んでウルッときてしまった…。ということで東京(仙台)で「1度見た」というかたにもオススメです。




その後、京急線+バスを乗り継いで小1時間で横須賀美術館へ。


三浦海岸の先端の観音崎にたつ横須賀美術館は今年のゴールデンウィークにオープンした。1980年代半ばから地元で美術館設立の機運が高まり、1999年にかけて4回市民アンケートで設立が決定した。美術館建築は全国自治体初のQBS(資質評価方式)により山本理顕氏が設計者に選出された。公共建築におなじみの設計案から1つの案に絞りこみ選出するコンペ方式とは異なり、QBSは複数の建築家の過去の実績をトータルに比較評価した上で相応しい建築家、建築集団を選出する方式である(cf.「新建築」200707号)。しかるに山本氏が選出された2002年時点でデザイン構想がそのものはまだ空白の状態であったというのも面白い。同年にプロジェクトチームが編成され基本設計が開始され、2005年に着工、翌年7月に竣工し、10ヶ月の安定期間を経て今回のオープニング展開催に至った。


横須賀美術館の設立経緯や2001年以来のプレ美術館活動については旧サイトに詳しい。




開館記念展「〈生きる〉展」はテーマ設定と作家の選択に疑問が残る。個々の作家の作品に不満はない、問題はキュレーション側にある気がする。まず「生きる」というタイトルが問題で、この否定の余地のないイマドキ便利なキャッチコピーは「(ポジティブかつエコっぽい雰囲気)+PCにかなう=話題の展覧会」…という広告的判断でつけられたのかもしれない。けれど、そもそも制作行為そのものが「生きる」ことといえば何でもアリになる。なので展示作品が「生きる」というキーワードでくくって語られる必然性もないし、展示が説得力を生みださない安易な印象を残してしまったのではないか。「美しい国」というキャッチコピーがわずか数ヶ月で陳腐化しいまでは冗談のネタにしかならないイマドキニッポンの文化状況はなんというか薄っぺらなのだ。常設展の展示替えですべてが見られなかった不運もあるとはいえ、レストランカフェで隣り合わせたおばさまグループは「なんだか分け分かんなかったわよね〜、あれで入館料900円は高すぎるわよ〜」と直球なご意見をワインのつまみにランチに舌鼓を打っているのを聞いていると、「美術館」という制度に酔いしれることなく求められうる、だけど見たこともないような創造/想像性を提示する場たれ、と思った。


オーシャンビュー型文化施設として、入口すぐに設置されたレストランもカッコいいしワインも美味しいからレジャー施設としては満足である。こんな素敵な立地にある美術館は他にないのは確かなので、今後、新しいかたちの美術館として実験を積み重ねて新たなかたちの美術シーンを作ってほしいとも思う。たとえばもしコンセプチュアル路線を強めたいなら、たとえば「生きる」なんて能天気なテーマより「死んでみる」をテーマにして、個人、文化、社会の死の表象を徹底的に追いかけるするほうが(開館展には相応しくないかもしれないけど)よっぽど今の空気を伝えると思うし、見えない何かをみせることもできると思う。個人的にはキリスト教のお葬式など参加すると、これほど生と死の祝祭性を感じさせる場はないと思う。お葬式のような展示構成(つまり伝統的な教会堂によくある3廊式で奥にアプスみたいな)で、葬祭業などに協賛をお願いするとかして新たな財源を確保できないものだろうか。死を照らすことで生をてらしかえすというのはだめだろうか…。わたしが写真家ならベッヒャーみたいに墓石を淡々と撮り続けて円形の壁にぐるりとはりめぐらせるかなあ。もちろん床には土をしきます。


それはともかく、ひとつ気になるのは、キュレーター主導の「テーマ展」の世界的な潮流だ。よっぽど作家にネームヴァリューがないとお客がよべないし今の美術界にそれほどのスター選手は存在しない…というのもあるかもしれない。とはいえテーマ型の展示だとキュレーション力が大きく問われるし、また結果的に表層的な展示に終る場合が多い気もする。ともかく展示が充実しないと美術館が機能的に長持ちしない気もするのだった。モチロン美術をとりまくニッポン的困難な状況の中で種々の制約の中で展示を実現させるのは本当に大変な作業だと想像に難くない。とはいえそんな中でも面白い展示は沢山登場して楽しませてくれるている状況もあるので、今後、海も美術も楽しめるリピーター続出の美術館になることを期待。。