坂茂「ノマディック美術館」@お台場

坂茂ノマディック美術館」/グレゴリー・コルベール「Ashes and Snow」@お台場


連休中の振替休日…という最悪のタイミングで観光地・お台場に行ってみた。坂茂による設計の期間限定ポータブル・ミュージアムノマディック美術館」(07年3月11日〜6月24日)を眺めるためである。


トロントにもパリにも神戸にも、水辺の観光地に家族が休日を潰すためのアミューズメントパークはあった。白い海面から照り返す太陽の下、雑踏に押し流されながら東京テレポート駅の脇に錆びついたコンテナをつみあげた仮設ミュージアムが鎮座していた。結構なひとだかり、盛況である。


ちなみにノマディック美術館はカナダ出身の映像作家グレゴリー・コルベールによる写真作品「Ashes and Snow」を恒久展示するためのサーカス小屋的な移動式の仮設美術館である。その規模は5,300平方メートル。まず海辺の開催予定地で152個の貨物コンテナ(2.4mx6m)を現地調達(レンタル)し、4段に積み上げて3つの展示室(高さは身廊17m、側廊10m)の壁面を構成する。内部に直径74cmの紙管の列柱を並べてトラス部分に直径30cmの紙管を組みこみテントをはる。これにより3廊式のバジリカ教会堂的な巨大な展示空間が生まれ、大型和紙にプリントしたセピア色の写真作品がぶらさげられる。商業主義的オリエンタリズムとPCに配慮したコルベール氏の写真作品は世界各国のファミリー向け観光地で来館者を動員するには適当な作風だと思う。


ちなみにノマディック美術館はその設立まで紆余曲折があった。


もともとこのお台場ではかつてグッゲンハイム美術館分館設立プロジェクトが存在した。その際にバン氏は美術館建築コンペに3人の招待参加者のひとりとして名を連ねておりコンテナをつみあげるプロジェクトを提出した。結果的にはこの「グッゲンハイム東京」構想が実現することはなかったのだが(日本よりも中東の投資価値ということ。2011年にゲーリー設計のグッゲンハイム・アブダビがオープン予定)、バン氏はこの「お台場美術館」構想を諦めることはなかった。


2003年にはバン氏は慶應SFCの坂研究室を中心に「東京デザインミュージアム(TDM)」プロジェクトを発表する。これはお台場に日本で初となるデザインミュージアムを2007年から10年の期間限定で建設する計画であり、その詳細は『石原都知事、デザインミュージアムを作りませんか』(マガジンハウス社、2003)の紙面で華々しく紹介された。このTDM構想は、財政難にあえぐ日本のミュージアムの問題解決シミュレーションとして構想自体は問題提起的であったけれど、提出された運営計画の中身は数値予測の甘さが批判された。また従来的な「美術館=ハコモノ」の発想を乗り越えない凡庸さが目について、これじゃムリだろうな…と客観的に思わせるものだった。実際ムリだった。(この辺りの状況は拙論「デザインミュージアムジャパンー報告」『日仏工業技術』tome.51, no.2, 2006に詳しい)。


その後、2007年3月に六本木にはアンタダ・イッセイ・デザインミュージアム(正式には21_21 DESIGN SIGHT)が設立され、日本初となる本格的なデザインミュージアム設立の悲願は達成された。ところでなぜ「デザインミュージアム」なのだろうか。そもそもデザインミュージアム設立の機運は2003年1月の朝日新聞三宅一生氏が寄稿した「創ろうデザインミュージアム」がきっかけであるとされる。要するに文化活動が手厚い保護を受ける欧米諸国で活躍する「日本を代表するデザイナー」たちは海外で仕事をするたびに、生まれ故郷に「デザインミュージアム」という施設すらないことに「デザイン」の社会的位置づけの差異を感じざるをえない状況があった。つまりインダストリアル・デザイン(特に服飾、プロダクトデザイン)の日本における地位向上と権威化の装置としての「デザインミュージアム」設立は急務であったのだ。


かたや、「紙の建築」の代名詞的存在として国際的に活躍するバン氏、2つの「お台場ミュージアム」構想が未完に終った後も新たな可能性を着々とさぐりつづけていた。映像アーティストのコルベール氏から、オレ用のギャラリーを作ってくれよォ…と打診されたバン氏、軽量で組み立てと解体のしやすい移動式ミュージアムを作り上げニューヨークのピア53とサンタモニカで展示を行った。それが今回、かつて「お台場美術館」を夢見た東京の浜辺に流れ着いてきたのである。つまり今回のノマディック美術館は3度目の正直なのである。拍手喝采


紙管がそびえたつノマディック美術館は巨大化した無印良品…にも見えるけれど、仮設とは信じがたい時間と空間のまざりあった重厚な場所性は古代の教会堂を思わせる。2つの未完のミュージアム構想を深化させあらゆる可能性をさぐりながら実現のチャンスをつかみとること。現実の状況を打ち負かす意思と実現に対する執念の重要さをつくづく感じて帰ってきた。


ちなみにこの展覧会、主催→フジテレビ/特別協賛→ロレックス/後援→森ビル、朝日新聞その他など、ともかくリッチ…ならば入館料を下げればいいのに。モウカリマッカ的なニッポン企業にフィランソロピーの発想はほど遠いのだろう。