「安藤忠雄 2006年の現場 悪戦苦闘」/「アトリエ・ワン展」

安藤忠雄 2006年の現場 悪戦苦闘」@21_21 Design Sight東京ミッドタウン
アトリエ・ワン展 いきいきとした空間の実践」@ギャラリー間(乃木坂)


なんだかんだと訪れるタイミングを逸していた東京ミッドタウン、本日最終日の安藤忠雄展にかけこむ。




展覧会の紹介には「今回21_21 DESIGN SIGHTの設計にあたって追求したのは、日本の顔としての建築です。」とする一文がある。今回のオープニング展、2005年の丹下健三氏亡き後、空席となっていた"The Architect of Japan"、つまり国家を代表(represent)する建築家の座をついにアンタダ氏が獲得した…ことを戦略的に象徴する展覧会という印象を受けた。首都・東京において80年代に存在した鈴木都知事+丹下氏の関係が21世紀には石原都知事+安藤氏の関係へと受け継がれたと解釈すればよいのかもしれない。建築と政治の関係を考えさせられる興味深い展示だった。とはいえ、ムッシュー・タンゲの元から輩出された数々の名だたるエリート門下生たちを押し退け最終的には叩き上げのアンタダ先生が頂点に座るという構図は、一般人から見れば痛快な話でもある。50年スパンで「日本の建築家」が変わるのなら、あと数十年後にアンタダ先生の座を引き継ぐのはどんな人か、考えてみるのも一興かも…。






折り紙のような建物はキレイで気持のよい空間だった。表参道ヒルズのような矛盾がないしミニマルでスッキリ明快。今後コンセプチュアルなデザイン展をコンスタントに開いていくには適度な規模だと思う。だけどやっぱりアンタダ建築は関西やヨーロッパの濃密な空気のほうが似合う気がする。東京は時間の堆積が希薄すぎでアンタダ建築とイマイチしっくりこない印象。土地は時間や文化を吸収して成長するものだし、東京の長らくブラックホールであった自衛隊跡地という荒れ地が豊穣さを生み出すには時間がかかる気がした。それとミュージアムの名前が覚えにくいので愛称でもつけてほしい。アンタダ・イッセイ・ミュージアムのほうが分かりやすい。


会場では「ウィリアム・フォーサイスによるインスタレーション」も展示されていた。これがチョット謎で、音楽トム・ヴィレム、映像フィリップ・ブッスマンで、ダンサーはアレッシオ・シルヴェストリン。もちろん会場にフォーサイス御大自身はおらず、白いスモークがモクモクと湧く会場の片隅でダンサーがフォーサイスっぽいダンスノテーションで踊る…というパフォーマンス。「フォーサイスによるインスタレーション」が、発明家フォーサイスによる発煙装置と空間構成が作品を意味するのか、それとも単に(?)フォーサイスが企画(と振付)したパフォーマンスイベントを意味するのか、別に悩む必要もないのだろうけど、チョット不思議な気分におそわれた。それと、サイン会+ショートレクチャーで初めてナマ・アンタダ先生を見た。


その後、東京ミッドタウンを出て乃木坂のギャラリー間まで歩く。この道、そういえばいつもなにか工事してる印象があったことを思い出す。ギャラ間のアトリエ・ワンの住宅展、チャーミングな住宅模型が30cm程?の高さの台に配置され、観客はかがみこんで模型をのぞきこむ。この展示形態だと肥満体、運動不足、腰の悪い観客にはかなりきついのではないかしらん…。メタボリックを自覚させる展覧会の効用もアリだと思えば問題提起的だとも思う。