「千葉学展 そこにしかない形式」★★★★*

千葉学展 そこにしかない形式」@ギャラリー間
【評価】4.25(作品:4 キュレーション:4.5)



「賞味期限」ブームである。不二家のペコちゃんはモチロン、「美しい日本」のような言葉にも「賞味期限」があるということだ。言葉になぜ「賞味期限」が発生するかというと、ごく単純に、言葉と身体が乖離しているからだ。イマサラ「身体性」みたいなことを言うのは気恥ずかしいけれど、カラダから生まれる言葉は思考と身体の痕跡を残すと思う。言葉も身体も様々なレベルの体験から醸成される…ので、浸透力のある言葉が醸成されるには時間がかかるのだ。詐欺師の極意は8割の「嘘」にも必ず2割の「真実」を混ぜこむことだ。発話者が自ら感じない感情を語っても言葉は浸透力を持ちえない。どんな表現もスタイルやハヤリスタリから逃れることはできない。それでも何かを発しつづけるには、形式をやりくりしながら、表現とカラダを近づけることが必要だろう。だから「賞味期限」のない表現を発しつづけるには、感じつづけなければならないし、何も感じないヒトは表現など必要のないことだと思う。


それはともかく、乃木坂のギャラ間でみた建築の展覧会はおもしろかった。千葉氏の最近のプロジェクトを中心とする模型中心の展示。なんというか、とても趣味の良いキュレーションだった。ギャラリー入口を入ると圧倒的な闇が押しよせてくるのは黒〜濃灰色の壁のため。高さ1mほど?のテーブルが空間いっぱいに並べられており、テーブルの上の大型模型のあいまを縫うようにして動きまわる。鈍い光の薄闇に取り巻かれて屋根の広がりを見下ろすと、建築の展覧会であまり感じることのない感覚が生まれた。暗闇にしろ隙間に入りこむ展示にしろ、たぶん、展示やキュレーション全体が、身体感覚をフルに刺激するように意図されているのだろうな、と思うし、それが成功している。建築展で建築空間を展示するある種の不可能性を超える知的な可能性、知性に触れられた気がして、なんだか嬉しくなった。展示パネルの写真が分かりにくかった。