トーキョーワンダーサイト青山とインスタレーション★★★*

「オープンスタジオ/ジンラン・キム」@トーキョーワンダーサイト青山
【評価】3.66(作品4.0/展示4.0/パブリシティ3.0)

都立の美術館をめぐる旅、番外編。今、東京都の文化施設で最も話題を集めるトーキョーワンダーサイトである。都知事による近親者登用問題をめぐり芸術振興プロジェクトの運営のありかたが問われている件である。


それはともかく、このトーキョーワンダーサイト、「事件」が起こって一挙に知名度を上げたが、逆に言えば、それ以前はその名称さえほとんど知られていなかった。そもそも一体全体、「トーキョーワンダーサイト」ってナニモノ?という感じである。東京のどこにあり、そこで、誰が、何を、何の目的をもって運営し存在する制度/施設なのか、まずは5W1Hが分からないし、パブリシティされているのを見たこともない、というヒトも多いのではないか。無知には無知なりの理由があるはずだ。


まずは公式サイトサイトから抜粋。

トーキョーワンダーサイトは、東京都の文化政策の実験場、シンクタンクとして活動を行っています。東京都は2001年、文化芸術を市民に親しみやすく提供する文化振興から、文化芸術の創造・発信のための支援へと方向転換を行いました。創造拠点整備の問題点を洗い出し、2004年2月から1年かけて「文化政策を語る会」(座長:資生堂名誉会長、東京都写真美術館館長 福原義春氏)を開催するなど、東京の文化政策策定の過程で、創造発信を支援することが大きなテーマとなっています。それに基づき、「東京都文化振興指針」が策定され、東京からの創造・発信が政策として位置づけられました。今後も、東京のアートのプラットフォーム整備に向けて、トーキョーワンダーサイトは様々なパイロット事業を展開し、文化政策へ反映させていきます。」


トーキョーワンダーサイト」の活動をみるかぎり、東京都による芸術家支援目的の組織というのがふさわしい気がする。少なくとも日本における美術館の位置づけが、鑑賞者と作品をつなぐ場であるのに対し、トーキョーワンダーサイトは若手アーティストと社会を結ぶ場として設立運営されているという図式が浮かぶ。メディア頼りの大規模展覧会頼りの美術館に対するオルタナティブとしての存在意義がある。


付け加えるなら、トーキョーワンダーサイトは他の都立美術館、博物館と同様に東京都歴史文化財団の管理運営のもとにある。都立の文化施設を知るなら各館のサイトに加えて東京都歴史文化財団のサイトが参考になりそうである。
東京都歴史文化財団


ちなみに、最近「プラットホーム」という言葉がよく使用され気になっているのだが、「platform」が「演台」「壇」とはまず訳されない。駅の「プラットホーム」のほうが近いのかもしれない。「美術「館」」のようなハコモノとしてではない「場」の概念を表す場合に用いられる印象が強い。


ともかく、ナゾの「トーキョーワンダーサイト」は主に美術家や関係業界を対象にした施設であるがゆえに、一般大衆はその名前を知ることがなかったのだろうか。それとも都知事肝いりの公営カジノ計画やら銀行税みたいに、東京都による新たな財源としての新たな公営美術マーケットの創設を狙っているのだろうか…。といよりも、文人都知事、きっと「砂の器」の60年代的ヌーヴォー・グループ的世界を作りたいのに違いない…とも読める。


ナゾは深まるばかりであるが興味もひかれる。それに都民税を払っているのだからわたしにだって一抹の権利はあるわ…ということで、トーキョーワンダーサイトに行くことにした。


とはいえいわゆる「美術館」ではないので、「見る」範囲も限られてくる。トーキョーワンダーサイトの活動拠点は本郷、渋谷、青山だが、12月22日時点で一般の観客が訪れることができるのは、青山で本日最終日を迎えるインスタレーション展である。


事前に事務局に訪れる日を予約した上で、国連大学の裏手にあるビルを訪れた。


ガラス張りのエントランスで事務局の部屋番号を押して身分を名乗ると自動ドアがあき、エレベーターに乗り、3階で下りる。右手にトーキョーワンダーサイトのオフィス、左手に行くとギャラリーがある。芳名帳、本日2人目の客である。


と、ここまでイヤミたらしく書いてきたが、展示は思っていた以上にとてもおもしろかった。


作家は韓国の68年生まれの女性アーティスト、ジンラン・キム。石鹸を使用したインスタレーションである。今回の展示は、韓国の代表的なオルタナティブスペース、サムジースペースSSAMZIE SPACEトーキョーワンダーサイトの交換プロジェクトで、キム氏がアート・イン・レジデンスのかたちで制作したそうである。展示スペースの入口に立つと、内部から、プーンと芳香が漂ってきた。


8畳ほど?の室内の中心に木製の枠をくんだ台座が置かれ、内部の床面に資生堂のホワイト石鹸が敷きつめられている(都写真美術館の館長は資生堂の福原氏)。右側奥のコーナーに14インチほどの液晶画面が設置され、アブストラクトな映像と共にアンビエントな音楽が静かに流れている。壁3面は襖大の掛け軸?畳?状に装丁されたパーティションがはめこまれ、台座の真上の天井に奥から手前に向かって板が渡され、そこに白熱のスポットライトが設置され、白い空間を柔らかく照らしている。


大量のバス石鹸から放たれる、つきささるほどに甘い石鹸の「香り」が展示のメインだろう。もちろん、純白の石鹸のものとしての美しさもアートとしての意外性もオモシロくはあるけれど、そうした知的な解釈よりも、やはり嗅覚という逃れることのできない感覚をつらぬくさりげない大胆さにやられてしまった。


一方、洗面台の中に展示された摩天楼の彫刻は、出来上がりの精巧さはアーティストとしての技術の確かさを証明しはするけれど、「石鹸彫刻」以上の存在になりえてない。おそらく彫刻に耐えうる強度を求めて洗濯石鹸なのだろうけど、洗濯石けんの色気のない無臭(?)さは感覚に訴える力をもたない。


資生堂ホワイト・サボンの香りに包まれながら、幼少時、クレヨン画の表紙の『暮らしの手帖』で石鹸の商品テストを眺めたときを思い出した。見たこともない貝殻型のフランス製のシャボンと禁欲的な資生堂の絹石鹸が並べられていた。ページを眺めるだけでページから匂いたつような香りを漂ってきた。展示室では、香りが手の中に包みこむと柔らかな泡と甘い香りをふくらます四角い石鹸がタイル状に敷きつめられ、それだけで、風呂場にわきたつ湯気のような想像力をかきたてる。言葉より感覚である。まとまった展覧会があればぜひとも見たい…と思わせられるインスタレーションで、しごく満足、予約してみるかいがあった。


難点は、作品よりもパブリシティ。もちろん、都心のセキュリティの厳しい高層ビルのオフィス・スペースで、要予約制の展示というシステムでの展示はさまざまな制約を伴う。そして今回の展示は作品や作家の価値を広く一般に問う、というよりは、国際交流としての若手作家のサポートが第一目的であることは確かだ。それはトーキョーワンダーサイトの活動方針の趣旨にかなっている。


とはいえ、ネットレベルで言えば、トーキョーワンダーサイトの公式サイトのメッセージ性の弱さやデザイン的な分かりにくさが、多少なりとも展示に興味をもつ庶民に対して親切にはできていないように思える。せめて今回の「アート・イン・レジデンス」の趣旨や最低限の作家の情報は掲載し、後々のサイバー上の記録に残すことに問題ないだろう。


ともかくせっかく成功した作品なのにもったいない。個人的には、もっとたくさんのヒトがこの作品を見られたら、たくさんのヒトがフレッシュな満足感を味わえただろうに、思った。だから、もっと気合をいれて作家と作品をバックアップしてこそだ。お金と場所を提供したから任務はこれでおしまい…では、日本の芸術行政の貧しさはいつまでたっても変わらないだろう。


ということで、芸術行政というのも色々と問題含みであるとは思うけど、オモシロいことができるのならそれはそれで存在価値のあるシステムだと思う。そうでなければ存在意義なしである。冬は寒いけれど乾いた空気が夕陽の赤をにじませる。