ハシル

ラソンのテレビ中継。トップランナーのバストショットが正面のカメラで延々と映し続けられるあれを家でダラダラ見ているとあまりスピード感というのものを感じない。おまけにお正月の箱根駅伝など、ツイツイ、季節の雰囲気とあいまって、牧歌的な気分にみたされる。草食動物的な風貌の多いマラソン選手をみてると、なんだかひどく淡々としたスポーツ…というイメージさえできてしまう。


しかしだ。当然、勝負の世界は生きるか死ぬかの過酷な戦場である。先日の寒空の下の東京国際女子マラソンで、土佐や高橋Qチャンがラストで追い込む走りっぷりが90度のカメラで映し出され、その軽やかだけど猛烈な足の運びと伸びやかなストライドに、道路上にうちつけられるシューズの硬さで耳元をたたかれた。凄まじいエネルギーが視覚を通して想像的な感覚に伝わってくるので。。


優勝者の土佐の5kmごとの区間タイムは16〜18分前半。高校時代の体育で1kmを死ぬ気で走ってギリギリ3分50秒…でそれなりに速いほうだった。あれより速いペースで42.195kmを最初から最後まで走りぬくのね〜…と思ったら、おこがましいけど、ヤッパリランナーってすごい…と画面の向こうから後光があふれだしてきた。

http://www.asahi.com/tokyo-marathon/2006/2006_wm.html


気分がもりあがり近所をタラタラハシる。西へと向かう薄水色の空は黄昏時の夕暮れがしずくをにじませている。それを見ながら、キューちゃんの苦しい中からもがくように伸ばされるストライドを思いだす。上位選手の区間記録を較べると、高橋の30km以降の失速とラストの苦悶があらわになる。ということで、最後の100mで猛ダッシュ…というには程遠いけど、薄闇の中を顎が上がるほど必死に走ってみる。走ることのつらさが久しぶりにカラダにしみた。死ぬ気で走る瞬間を忘れないでいたいとも思うのだ。