大橋晃朗

ギャラ魔ではなくギャラリー間で大橋晃朗展をみてきた。最終日、入れ代わり立ち代りお客さんが行き来していく。会場では伊東豊雄氏が大橋の思い出について淡々と語る録音が流れ続けていた。2フロアにわたり大橋の家具がインテリアショップのようにひしめき合い、殆どがお座り可能。家具は使われて生きるもの、というコンセプトは好きだ。

大橋氏の家具は伊東豊雄氏の80年代の文章で読み知っていただけで実物は初めて…と一瞬思ったけど、そういえば去年、八代市立博物館でメタリックな椅子やら手擦りをスリスリ触ってきたな。。安価でデザイン性の高い家具を作ることを追求したというのが納得の、建築空間に上手くおさまるシンプルな家具。というより、ズバリ建築家の家具、である。理念的で知的なかたちが軽やかなアルミや木板により空間の中に浮かび上がる。

とはいえ、そんな家具群に、最初は物足りなさを感じなくもなかった。イタリアンデザインのような、座るこちらを抱きしめてくる、そんな心地よい官能性がない。椅子、という、身体に直接触れ合う道具の快楽性の欠如は、日本のデザイン一般の、キレイで丈夫なんだけど色気がない…というイメージに通じる。

だけど、大橋氏の椅子を座りつくしてみると、言葉にならない、ナニか、という潜在性をチラリとかいま見せられた。だからこそ、作家が消えた10年後も忘れられずにいる家具なんだろう…とイチゲンさんの思い込みを恥じる。その多くは、やっぱり理念的すぎるとも思ったけれど、ただひとつ、大きすぎる座椅子に座った瞬間、アルミ・フープの手擦りにとりこまれてしまい、椅子も空間を作るんだな、ということを知った。大橋さんはやっぱり空間というか箱系の人なんだな…と思う。箱の内部の暗闇を椅子にする、ということだって出来る気がした。

バレーボール?を布で包み込んで背もたれにしたミッキーマウスチェアの背中に当たる感触は初めての感覚。ひょんな意外性を見せてくれる瞬間、デザインってホントにスバラシイと思う。

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その後、青山墓地から都バスに乗り、車窓にうつりこむ並木道の紅葉をながめた。