立山まんだら遊苑

金沢と富山をかけぬけた翌日、今度は立山博物館にいった。

立山博物館

立山博物館は磯崎新氏、まんだら遊苑は六角鬼丈氏の設計だそうである。

富山駅から地方鉄道で40分、無人千垣駅で降りると、タクシーもバスもない。山道を2km昇ると現場に到着する。

土砂降りの昨日から豹変し、つきぬけるような快晴であったのに、諸般の事情でデジカメぬきの一日だった。絶好の撮影日和なのに。ザンネン。

唯一撮れていた富山城。




立山曼荼羅で有名な信仰の山である。立山博物館は立山信仰の歴史をたどる場であり、まんだら遊苑は立山信仰を体験する場と設定されている。立山振興である。


http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060918k0000m040040000c.html


まずは博物館。客はわたしのほかに、地元の老人界メンバー5人である。

薄暗い室内とトップライトで輝く白い階段のコントラストが印象的だった。小ぶりだけどマッシブなインテリアがヨイかんじ。アクリル板に透写された曼荼羅図はマボロシのミラノトリエンナーレを思わせる。岩場の祠の奥で暗闇から仏像が突如ライトアップされたり、結構エンターテイメントである。立山の本来的な精神的な畏怖よりもむしろ夏の自由研究にも役立ちそうな効率性と学習効果をかね備えておりさすがである。やっぱり無菌なスポーツ施設よりこういうアヤシゲナンチャッテ系の建物の方が、ナニビトも追従できない感じでいいんじゃない〜…と、たったヒトリの館内でつれづれ思う。

とかいって、さすが信仰の山。フォッサマグナの動きで形成された厳粛な自然が醸す空気は下界とは異質のぬめりをはらんでいる(←博物館での学習効果)。なので、博物館から外に出てまんだら遊苑へと続く道のりは結構コワイ…。

広大な敷地に、客は常にわたくしヒトリキリ、携帯もつながらず、お寺とお墓を通り抜け、かつて女人が死装束で渡った橋をわたる…キャ〜…と肝だめしっぽい。ホトケ群のまわりのそこだけジットリシタ空気感にあたると、写真を撮ったら結構ヘンなものが写りそうだワ〜ンと、後ろをふりかえらずに一目散。


そしてまんだら遊苑。立山曼荼羅を五感で「体験」できる信仰アミューズメントパークである。

たとえばイタリアやドイツに『神曲』か『魔笛』の世界を体験しよう!遊園地を作るようなもので、世界的にも珍しいのではないか。学生時代、通学路の途中にあった建築会館で「まんだら遊苑記念講演」!をみつけ、たまたま迷いこんだら、無菌的なホールにラベンダーの御香が焚かれていた。ナンテアヤシインダロ…!と感激して以来のアコガレの場所である。

広大な敷地に客は常にわたくしひとりであった。「地獄」で大音響の狭い壁の間をくぐりぬけたり、透明つり橋を渡ったり、ネットの上をジャングルジムしたり、ドラを叩いたり、体感型ではアル。とはいえだ。

「恐怖」の想像力は難しい。つまり、わたしたちは「恐怖」のイメージは知っていても、それを可視的にデザイン化し説得力のアル表現効果をもたせることは困難であるのだ。感覚させるための装置はデザインできても感覚そのものをデザインするのは不可能なんだろうか。

光や音響やお香がバンバンフル稼働で、維持費が大変だろうなあ…とも思う。きっと地元の子供たちの遠足コースかナニかになってるのだろうな。曼荼羅の深い世界を知る…という趣旨からはあまりにナンチャッテ感はあるし、オブジェとかはイマサラ、水道橋のラクーアにもありそうな感じはいなめなくもない。

とはいえこじんまりとした施設全体が開館から10余年を経てイイカンジに風化し風景となじんでいる感じで、悪くないなあ、とも思う。メンテナンスも係員の方々も行きとどいた様子だったので、フーム、きっと愛されてるのかもしれない…と思った。

ということで立山博物館+まんだら遊苑はオススメである。写真がないと文章が長くなる…という欠点がこれでよく分かった…。こんどはチャントデジカメろう。