東京列島改造論・02

昨日は1923年関東大震災83周年だった。小学校のとき、夏休みの宿題で「地震と戦争体験を聞く!」というのがあり、山の手某所に住んでいた祖母いわく、お昼ごはんをいただいてたらおうちがすごく揺れたのよ〜…とかなんとかいってた気がする。崩れたとは聞いた覚えがないので、トウキョウでも隣とこちらで地域差があったのだろう。


というよりわたしの小学生時代はまだ、実際に東京の大災害を経験したヒトビトが身近にいたということである。体験からでてくる言葉を語り継ぐのは、権力意識をないまぜにした優越意識と詭弁を防ぐには重要なことである。ホントに。


アメリカの住宅バブルがはじけてきた…というのは数ヶ月前からよく耳にするようになった。バブルの頂点を判断するのは難しいのだけど、かつてこんな話をよんだ。


1929年初秋、ニューヨーク。第一次世界大戦後の国内産業経済の発達でアメリカは「永遠の繁栄」とうそぶかれるほどの活況にわいていた。ある日、ウォール街の高名な相場師が道端で靴磨きをしてもらうと、靴磨き少年いわく、「ボクも株買ってるんだ!」。相場師はその足で、持っていた株を全部処分してしまったという。その理由は、「靴磨きの少年までが株を買うようになったら株も暴落目前だね!」…相場師の予想的中で、その年の10月24日に「大恐慌」Great Depressionがおこり、その日付は歴史にみごとに刻まれたのである。いちはやく株券を現金化した相場師は資産をウヒョヒョ…と守りぬくことができたそうだ。


この雑誌「プレジデント」的なイカニモ話の虚実は知らない(もしかしたら誰でも知ってるアネクドートかもしれない。)。けれど、ライブドア事件で、「誰も彼もが買える株」が巻き起こした悲喜劇をみて、根本的な問題はイマドキの中高年の歴史認識の貧しさが一因にアル気がした。

Wikipedia


それはともかく、温故知新、ようするに歴史に学ぶ姿勢が大事なのである…。相場師が靴磨き少年の言葉を分析したように、見えない将来をレトリックの中から読み解き、分析することだってできるのだ。


そもそも、たいした理由も根拠もなく無批判な興奮や熱狂が「空気」全体に、「なんとなく」が蔓延するとき。そして誰も彼もがひとつの価値観をもつとき、ひとつの方向を向くとき。そこに「バブル」の頂点の症状がある。


ナニゴトも、急激に上がったものは急激に、暴力的に下がる、というフシギな自然の法則が存在する。郵政民営化法案とか「刺客」なんてずいぶん昔のように思えるけど、調度一年前の9月11日の出来事なのである。刺客に破れ政治家生命の絶望的崖っぷち…という話がつくられたのは、そういう話が短期的に必要だったからだ。そう考えれば、ものごとを短・長期でみているかぎり、たぶん問題ない。次の首相が誰になろうか同じだろう。泡沫はほっといてもすぐにはじけるだろうから。


そう考えると、短期的なバブルの先をいまから長期的に見据えておくことのほうがきっと重要…なのかもしれない。グローバリズムの時代にアメリカン・バブルの崩壊がおよぼすあらゆる側面への影響について、いまから考え始めた方がいいのだろうな。


オリンピック候補地決戦は「東京一極中心」のある種の弊害を象徴化していた。東京一極中心化による圧倒的な経済力が勝因のひとつであり、33対22という投票結果は、現実と理想の綱引きの結果であったとすれば、都市としての東京は末期症状なのかしらん…。都市の熱が沸点に達し、バブルブクブク状態、とすれば、火をとめるか上から水をかけるか、それともナベごとひっくり返して、安定が求められてくる。


今後10年間にマグニチュード7クラスの首都直下地震のくる確率は30パーセント…だそうである。それを考えれば、10年後の実現見込み10パーセント程度の東京オリンピック・スタジアムを考えるより、こわれた街を再建する計画をたてたほうが現実味もあるだろう。


…というわけで、東京の勝利を短期的に見れば、福岡市長の背中が切なくみえなくもないけど、少なくともこれから数年間、アホウな幻想につきあわされて、無駄な税金を払わされる都民はもっとカワイソウだ。同じお金を耐震費用に回したほうがよっぽど合理的だろう。冷静に状況をみすえれば、東京にオリンピックを招致する理由がない、レトリックに整合性がない。より選ばれる理由をもつ都市が他に存在する。だから選ばれもしなければ、万が一選ばれても成功しないだろう。実現不可能な事業に公金を投資しても無駄…と単純に割り切ってはいけないだろうか。全体的構想なしに短期的で無節操につづく東京再開発ブームの一現象だと思うし、そこに整合性がないので失敗し、全体的な重さのために崩壊の被害を広げるだけ、だと思う。


こんなイマだからこそ、東京列島改造論として、「ポスト東京」というのも考え始めていい気がする。アメリカン・バブルが崩れたら東京は直下型的にガックリくるだろうし、そのときに、「東京」という価値以外の価値基盤を、ニホンが備えておくのは建設的だと思うけど。


ともかく、今日の朝日新聞の夕刊に、ヒントがある気がした。(コレ)。富山の新交通システム路面電車富山ライトレール」!

富山ライトレールのサイトはココ

エライゾ富山!…かつて『路面電車が街をつくる―21世紀フランスの都市づくり』[amazon]を読んで、イイネエ…と思っていた、だけど公共交通網の発達した都内でホントムダでジャマな自家用車を走らせてる東京じゃムリだろうなあ…と思っていた、けど、日本でもチャントまちづくりをしている場所もあるのねえ…と勝手にスコヤカな気分。


「夏休みの宿題的」な東京列島改造論。想像してると気晴らしとして涼しくていいな。さらに楽しく、憲法で定められた三権分立の象徴性を地理的に実現すれば、今の東京一極集中の是正と全国活性化でいいかなあと思う。国会議事堂が省庁や最高裁と地理的に近くなくてもいいわけだし。富山は行ったことないけど、富山なんて司法なんていいなあ。立山の閻魔様に裁いてもらうのである。