カツラとしてのわたし

ゆるやかな終わりは悶絶の始まりとなった。

カツラとしてのアネハサンに思いを馳せていたら、アネハサン的レトリックにからめとられた東京支店長氏が久々に画面に登場した。20キロ減量。あこぎなことはあっただろうけど、ここは素直に、欝とした視線で空をみつめる姿を前に、その心の痛みを感じずにいられなかった。

そして、「私」というレトリックの底知れない力に、身震いがするのであった。カツラとしての「私」は着脱式の悪である。悪は悪をもってしか制することはできないのだろうか。


などと、ノンビリとした日常、読書に励むのである。


温故知新第2弾、スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』Regarding the Pain of Others, 2003.[amazon]

ソンタグといえば『写真論』[amazon]『反解釈』[amazon]
美術史学生として当然のように読まなきゃね〜と読んでみたけど、日本語がむつかしくて、おまけに行間もギュウギュウしてるし、ヨクワカランかった記憶がある。しかし、少なくともRegarding the Pain of Othersは、ソンタグの原文も和訳も、シンプルで理路整然として骨太で、だから迫力がある。ソンタグは翌年2004年に急性骨髄白血病でなくなった。

『他者の苦痛へのまなざし』は、戦争写真を通じてヒトは他者の痛みを感じることができるのだろうか、と問いかける。ニューヨークの9.11をダレもがヴァーチャルで体験した。しかし、ツインタワーと飛行機の衝突で瞬時に、もしくは刻々と砕け散ったヒトビトの断末魔を、冷房のきいたツルリトシタとした日常風景で感情移入するのは、わたしにはとうていムリだった。

中東では現在進行形で爆撃が続いていて、毎日のように瓦礫になった街の風景が写しだされている。ニホンよりproche orientなフランスの新聞サイトの一面は、ココ最近はレバノン関連記事が続いている。そしてまた、ニホンは原爆の大量死から61年目の夏がやってきて、過去という負の遺産と正面から向き合えないままでいる。

写真により記録された初めての戦争は南北戦争クリミア戦争なんだそうである。それ以来、世界中の戦争、紛争、災害が多く報道され、わたしたちのまわりには「不幸」がワンサカ溢れている。動画まで見られるようになり、つまりヴァーチャルなレベルでは「戦争」体験は確実に増えたのである。

だからといって、映像世代のヒトビトの、他者の痛みに対する「感受性」は、発達したといえるのだろうか。いま、この瞬間に、戦火に焼かれる人々の恐怖を思うと、暗澹とした気分におそわれる。かといって、じぶんが生きている世界は、電車で肩が触れ合ったから切れて殴りかかる、とか、ヴァーチャルワールドの匿名性の暴力だとか、ストーカーとか、秋葉原の萌えだとか、PTSDだとか、「社会」という与えられた根本的な枠組を破壊されない中で、どうでもよい怒りや喜びに支配される社会である。わたしもまた大きな、理不尽な、不幸からは逃れえた立場であり、「痛み」は他人のものなのかもしれない…と結論するしかない。時空をこえた、知らない言語や文化のヒトタチの痛みを真実うけとめられうほど、わたしの感受性も想像力も発達していない。抽象的な不幸を具体的な不幸に置き換えることが、個人のレベルでできたとしても、個人の人生を奪う(死ぬ、死なないは別として)あまりに不条理な痛みと比較するのは、あまりにもおこがましい気がする。


日本語は「私」と「他人」の区別が明確でない。それを思えば、「他者の苦痛」に対して、「私」が必然的に対置されていることは、あえて、意識すべきなんだろう。そうでなければソンタグがOther's painとした煩悶をとりおとしてしまう。

作家としてのソンタグの言葉は常に「私」が前提にある。「私」の美的感性を、自分の作品や他者の作品への批評を通じて完成する。「死はいつも他人」ではないどけ、だからこそ、「他者」の苦痛を語ることにはじめから内在する矛盾を語らないではいられない。


ユダヤ人としてのオリジンをもつアメリカ人のソンタグは子供時代に近所にドイツ人収容所があり、毎晩、ナチスに追われる悪夢をみたのだという。そんなソンタグパレスチナを支持し、「戦後フランスで「レジスタンス」と称賛されたヒトビトは戦時中は「テロリスト」といわれてたのよ」といい、テロリストも英雄も可逆的である現実を指摘した。

ソンタグはブッシュjrの対中東政索を明確に批判する。ドイツで最高権威の文学賞を受賞したソンタグの授賞式に、かの地のアメリカ大使は出席を拒否したという。


ニホンでのみ刊行されたソンタグの発言集『良心の領界』の冒頭は、ソンタグが2002年に東京で開かれたシンポジウムに参加した際の記録となっている。ニホンの「知識人」が他者の「痛み」を自己顕示欲を満足させるためのディスクールにすることに、何の痛みも感じずにいること、それに対し、許せない、のかもしれない。平和ボケな日本社会で卑近な不幸を世紀末的苦悶として生きるニホンジン知識人たちの「他者的」発言に対して、怒り?をにじませるような晦渋にみちたソンタグの言葉の端々が「痛み」を伝えてくる(英語でどんなふうに話しているかはわからないけど)。足元の危機と向かい合うことなく、心地よく知的マンゾクを得られる安全な所から語ることの欺瞞…というのは悩むべき問題なのかな…とはおもった。


「日本語」はマージナルな言語だ。基本的に日本国内でしか使われていない。英語やヨーロッパ言語と違って、他の言語と互換性がない。だけど、日本にいて生活していると、なんだか「世界」につながっている気がしてくる。しかし、逆はそうでないかもしれない…と思ってしまうのだ。「インドさながらの世界」のなかで、グローバリゼーションの過程で、英語の世界的な広がりも国のアイデンティティをめぐる偏見の歴史を修正するにはいたっていないと、アメリカ人ソンタグはいう(218)。翻訳文というのは基本的に読みにくいのだ。言葉のナチュラルさの問題だけでなく、文化的背景など共有していないから。「三島由紀夫村上春樹はフランス語訳あります!」といっても、パリの本屋さんではやっぱり脇の方に追いやられている。

そう考えると、言葉じゃない文化のほうがメディアとして浸透性があるだろうな。オタク・ジャポンは「翻訳」という不可能な作業がない(こともないけど)。受け手が自動的に解釈行為を行ってくれるので、異文化コミュニケーションにはうてつけかも。わたしは趣味ではないが。

【眠いし寒い】明日はテッラーニ
http://www.geocities.jp/haarhurry_new/essay/terragni.html