きょうの猫村さん

傾向と対策にやぶれた本日。『きょうの猫村さん』について考えた。



きょうの猫村さん』1 [amazon]、2 [amazon]



戦後日本の芸術表象においてもっとも有名な猫は『ドラえもん[amazon]である。日本における動物物語の系譜がきっと『吾輩は猫である[amazon]に始まるとすれば、ドメスティックな動物の中でも、特にネコはネタにされやすい。


近所の耳垂れイヌが、ひがな玄関先でねそべっているくせに、毎夕方になると飼い主たるご隠居様にひっぱりだされ、イヤイヤしながら路辺をトボトボ散歩する姿を眺めながら、夕陽をあびるその背中の影に、なぜ日本の芸術はイヌではなくネコを愛したのか考えてみた。


ちなみに一部のテリア種はホトケ語で「ネズミ捕りイヌ」と呼ばれるらしい。維新後の日本では耳の垂れた洋犬はブルジョア家庭の象徴であったと思われる。たとえば小津安二郎の戦前の代表作のひとつ、『生まれてはみたけれど』1932で、上昇志向の父親は上司につられて都心から郊外に転居するが、線路脇の庭で飼っていたのはかのネズミ捕り犬であった。



明治以降の欧米化の過程で「犬」はモダニズムの象徴にされたとすれば、猫はどうだったか。



吾輩は猫である』以来、日本の芸術表象において、ヒトをネコにディペイズマンすることで、物語中のオルタナティブな立場を設定する。猫は意思をもつ主体、というより、クリティカルな視点として存在した。


とはいえ、明治の猫と、昭和の猫と、平成の猫は、それぞれその批評眼の基盤を異にする。


夏目漱石の猫はヒトに飼われる猫としてエサを与える/与えられる主従関係が成立している。つまり漱石の猫は、あくまでドメスティックな飼い猫であり、ヒトと猫はあくまで位相をたがえて存在した。ヒトとネコの距離は絶対的である。だからこそ、ネコが家族に向ける言葉は漱石の同時代への批評的な言説として響いてくる。


昭和のネコ代表、『ドラえもん』はネコ型ロボットである。猫であり、人間である…と同時に、猫でも人間でもない…という越境的な存在である。核家族・ノビ家において、ドラえもんはひとりっ子のび太の擬似兄弟として機能する(母は「ノビちゃん、ドラちゃん」とよぶ)。学習机の引き出しからとびでたドラちゃんが、衒いなくすんなりと家族化できた背景である。そしてそこには高度成長時代の建売住居には残っていた日本家屋の開放性があった。


ドラえもんはノビ家の一員となることで、ノビ家に対し批評(批判)的な視線を向けることはない。だからこそ、ドラえもんの初登場場面で、ノビ母が「中年夫婦+息子」の核家庭と思えぬ量のドラ焼きを菓子盆にテンコ盛りにして供される。一般家庭のおやつで出されるドラ焼きは一個である。庶民の子供はそれをケチクサク2枚皮+餡子にはいで3倍美味しく?食べたりさえする。しかし、ドラえもんが「物足りない」=「不満」をもたされないためには複数である必要があったのだ。


ドラえもんはノビ家に食住を保証されているがノビ家の飼い猫ではない。異次元から現れた、ノビ家やノビ家をとりまく環境に同化することで内部を変化させていく、超越的な存在だ。「自己」の意思を「もたされて」行動する擬似人間・擬似猫としてのロボットだった。


明治から昭和へむかい、近代化を進める日本において、猫の視点に表象される批評的視野は、平成の『きょうの猫村さん』にいたり真の自我?を獲得する。主人公・猫村ねこは家政婦紹介所の派遣家政婦である。飼い猫として養われる明治の漱石猫と異なるのは、猫村ねこが自己の意思により家政婦として経済活動に加わり自立している点だ。とはいえ、昭和猫・ドラえもんとは異なりあくまで、猫村ねこはあくまで、猫、である。猫としてのアイデンティティを確立した上で、村田家政婦紹介所や奉公先の犬神家で受け入れられる。


猫村ねこ」の物語内部における存在意義は、日本の「家族」とそれをとりまく社会制度に対する批評的な視点を獲得することである。それは、飼い猫でもない、はたまたネコ型ロボットでもない、ホンモノの猫、であるからこそ可能であるのだ。平成の猫村ねこは、漱石猫とドラえもんがなしえなかった近代自我?をやすやすと獲得する…のである。



「家政婦はみた…!」物語は主人公が猫でなくとも成立する(もっとバナルな形で)。しかし、それより主体としての視点が、イヌではなく猫により表象されたことの象徴性が重要だ。ネコの習性か、サイズか。

【続く】(知らない)