オオカミ

中田ひで現役引退…発表でオオカミ(少)女にならなくてすんだわ〜と、ドイツの涙の7分を思い返しつつ一安心。それにしてもあの映像が、コイツゼッタイ辞める…と思わせるシーンに見えたのはなぜだろうかと考えた。わたしって占い師になれるかも…と儲け話をもくろんでみたが、カメラのアングルやシークエンスの長短に何かしらの演出により、ダレもが、コイツやめるかも…と思わせる要素がはいっていたのかもしれない。ともかくワイドショー的自己満足を覚える…。

「占い」が統計学+分析力+直観的感受性…だとすれば、それが目標とするのは、主観的データの客観化、見えない情報を見えるかたちにすることである(?)。ヒトの動作や話ぶりや表情筋をみれば被験者の過去、現在、そして近い未来というのは多かれ少なかれ像として浮かび上がってくる。占い師が自身の未来を占えないというのは外的データが圧倒的に乏しい、つまり内的情報を外的データに転換できないことに由来する(のかもしれない)。頭のイイひとは未来を論理と直観で予見しながら動くもので、程度の差こそあれ、ダレもが占い者…なのかもしれない。

けれど現実には思ってもいない出来事も起こるし予測不可能性を楽しむのも生産的である気もする…と考えつつ、実際の所、予測不能なことなど存在しうるのか…とも思う。占い師が自らを媒介にして扱う被験者をめぐる内的情報と外的データ(語られない原像と語られた像)、を区別しないとすれば、「占い」的判断とは、きっと内/外とか主観/客観という対立そのものがとけおちる瞬間に浮かび上がる像を判定することなんだろう…と夢見心地におそわれる。仕事中のぼやきである。

占いにかこつけて、「魅力ないまちづくりプラン2010」という課題を出したら、イッタイどんな案が出てくるのだろうか…と考えたら、きっとレポート用紙に北海道メロン市の写真をペタリとはりつけてくるのかもな…とかなんとかテレビを見ながら考えた。最低モデル案なら現実にいくらでもありそうだけど、イチバン最低な案として一等賞をあげるなら、やっぱり形而上学的最低モデルであってほしい…と考えた途端、己の想像力の貧困と限界を痛感する。

アルマジロってナニ?…と聞かれ、知らないと答えた(落ち着いたらそのうちアップします)。テッキリ河童の仲間と思っていたら、現実に存在するようである。知らなかった。

以下ヤフー辞書より。

「貧歯目アルマジロ科の哺乳類の総称。背面は骨質の甲羅で覆われ、前肢に丈夫な爪をもつ。歯はあるが不完全で、主に昆虫を食べる。ミツオビアルマジロなど20種以上が中南米に分布。よろいねずみ。」