『赤い砂漠』@パリのシネマテーク

ミケランジェロ・アントニオーニの1964年監督作、『赤い砂漠』をパリのシネマテークで見ました。アントニオーニ初のカラー映画である『赤い砂漠』ですが、色彩を手に入れたアントニオーニの素直な興奮がスクリーンいっぱいに満ちているのが好印象の作品です。以下、覚え書として。

●色彩の実験場
『赤い砂漠』は色彩の実験場に足を踏み入れたような新鮮な驚きと興奮に満ちている。同時代のパゾリーニは『赤い砂漠』を映画館で見て、その色の実験に対し好印象の評価を述べた。CG全盛の現代人の目から見ると、ナイーブな印象はいなめないけれど、手間をかけて絵の具でぬられた撮影現場の悲喜こもごもの様子を想像すると、実験だからこそできるスピード感はきもちがよい。

●都市空間と風景の変化
『赤い砂漠』の舞台となった古都ラヴェンナアドリア海にのぞみ、古代ローマの艦隊根拠地として発展し、西ローマ帝国の帝都、東ゴート王国の首都として繁栄し、16世紀はじめにローマ教皇領となった。内陸側に建てられた中世のビザンチン式モザイク教会堂は世界遺産にも登録された美術史上の名跡である。
60年代のアントニオーニはそうした歴史遺産にキャメラを向けることはない。現在は工業都市として煤煙に曇る沿岸の工場地帯をスクリーンいっぱいに映し出させた。アントニオーニにおいては、解体間近の廃屋や工事現場など変化が進行中の場と近代建築が対置された。真新しい風景は逆説的な過去の風景の変化のモニュメントとして対置した。
自然が改変され都市が近代化により劇的に変化するのはただ一瞬だ。その変化の一瞬にキャメラを向けたのがアントニオーニであったとすれば今、この瞬間にしかない都市空間や都市風景の変化の時間や瞬間はどのように描かれたのか。そこに現代芸術における都市の表象体系がかいまみえるかもしれない。都市は自然にわけいり自己を構成する。風景は時の移ろいで瞬間に変化する。植物は生命として成長し加齢する。自然は人為で制御されひとつのイメージを保つことができるとしても人間が自然を完全に制御することはできない。むしろ人も都市も自然により制御されるとさえ見られるだろう。消え去った過去の記憶をとどめようとするモニュメントは逆説的な懐古趣味であり、または都市空間の蓄積なしには思考を出発しえないイタリアという場所ゆえでもあるだろう。ムッソリーニ時代にローマ南郊に突如あらわれたEURでさえ、それは古代ローマ帝国になぞらえられることでスタティックな都市風景にとどまることはできない。過去の記憶を現在の風景につなぎなおすことがアントニオーニの映像作家としての矜持であるとすれば、それは景観作家の教示でもあるかもしれない。
風景は常に変化する。当たり前のことだけれど、風景や空間の変化は必ずしもすべての作家の第一の関心事ではないし、こまかな人間関係や感情の機敏よりも空間や風景に専念する物語映画というのはそれほど多くはないだろう。わたしたちの時代の都市空間においては、たとえば経済の自由化と近代化により急激に変化する中国を描くジャ・ジャンクーや、解体を間近に控えるリスボンの移民街にキャメラをもちこみスラムの貧困状況を記録したペドロ・コスタが都市空間の変化に鋭敏なまなざしをむける。
64年において環境問題は一般的な話題ではなかっただろう。とくに敗戦国イタリアは50年代を通じて社会、経済を建て直し、60年のローマ五輪を経て空前の経済ブームを迎えていた。『赤い砂漠』の撮影された時代においては、一般にはローマの繁栄はいまだ継続すると信じられていた時代であっただろう。そんな中で、工場が海辺を汚してヘドロを垂れ流し煤煙が空気を覆う現実をうつし、公害問題がクリアに映し出していたことは映画作家アントニオーニの先見性として評価してもよいだろう。アントニオーニは同時代の社会問題を取り上げ近未来における破綻を予測しつづけてきた。
同時代の社会問題を描くことは、アントニオーニの出自としてのイタリアン・ネオリアリズムの作家には共通したことだった。しかし著しい違いとして、ネオリアリズムの作家たちがイタリアの庶民生活をミクロの視点から取り上げたのに対し、経済学部出身のアントニオーニは経済活動の現状をよりマクロな視点から経済問題を取り上げたことがある。だろう。左派系インテリとしてのアントニオーニは、バブル絶頂の時代にローマの株式市場の混乱を描き来るべき経済破綻を予見していたし、ハリウッド進出後の『さすらいの二人』ではアメリカにおけるレジャー開発の矛盾を取り上げた。

●水辺の風景
色彩は精神状態を、どのように、どこまで、表現しうるか。
色は単純な物理量ではなく、生理的、心理的な感覚量であり、物体の色は表面からの反射光であり、その明るさは反射率により決まる。ひとつの色はさまざまな波長の色を加減して作ることができ、混色の方法も一義的に定まらない。赤、緑、紫の三原色の色刺激に感じる3種の受光器が眼に存在するとすれば、受光器が破調を示すと、世界の見え方も、認知された世界もかわるだろう。
自動車を運転中に事故を起こしたジュリアーナは怪我はなかったがノイローゼに陥り、幻聴と幻視にさいなまれるようになった。自らの分身としての子供さえジュリアーナにとっては自家中毒のように精神を乱す存在となる。ジュリアーナの心の変動は、スクリーン上において、ジュリアーナの眼を通して認知された世界という環境のもつ色の変化で表出される。その状態は、水面にひとつぶ落とされた色彩のようにたゆたいまどろい混乱している。水は場所や温度や流れを変え、束の間の平穏も急激な変化で簡単に乱されてしまうようにだ。
水面にうつりこむ色彩は光の反射により不変でありえない。固定の意味など定めえない、世界の完全な解釈など不可能であることを思い知らされるときに、世界をいろどる色彩にもいくばくかの狂気が隠されていることに気づく。対象世界の抽象性にむきあったとき、恣意的な現実と虚構の区別ができるとして、現象は次の瞬間には消え去るし、たいがいは存在の証明など残らない。
しかし、自然は意味を剥奪された環境であるように、水は抽象的だ。わたしたちは水の表情に感情や意味を読み取ることができるだろうか。
水が環境であるとき、わたしたちはそこに平穏を覚える。しかし、水が、いったん境界線を超えて意思を獲得したかのように激しさをますとひとは恐怖を覚える。だから、そこに堤防を築いてせきとめようとする。水は世界の風景を反映する。水は世界を飲み込む。水面は人間を飲み込む。物質としての水は、飲まれ、汚され、捨てられ、消える。
自然が関係性により認知される現象であるなら固有色などありえないかもしれない。野生と自然の境目の狂気が色彩の解釈を拒否するとき人格は破綻する。水面に明確な境目をつけるのは水そのものではなくあくまでも環境という絶対的な外部だ。水は都市の野生であり、色彩を混乱させて都市の表面に混乱をむき出しにする。整然とした都市空間に残された破綻や混乱に視線を奪われるゆえんだ。
水辺の風景は工業化により大きく変化を遂げた。水は人間の生命に欠かせない。水辺は、人間の生活と切り離せず、文化や文明の発達に伴い整備が行われ様々な変化が加えられた。
同時に、水は、聖なる風景を構築する存在として長らく信仰の対象であった。光を浴びて闇を映しこむ物言わぬ水は、普段は瞑想をいざなう静寂をたもつ。それは人間にとって穏やかな客体的環境だ。しかしいったん主体性を得てしまえば、容易に決壊し人間も自然も飲み込んでしまう。水のもつ静けさと獰猛さという矛盾した統一性にひきつけられた芸術家は多いだろうし、アントニオーニもそのひとりであったろう。アントニオーニは映像の上にごく穏健かつ控えめに水辺を記録しつづけたように見える。しかし映し出された水は人間にむけられた刃にみえる。アントニオーニの関心は工業化で新たに生まれた沿岸側の工業地帯の色とりどりの煙突とそこから排出される煤煙であり、かれはてた松の木立だ。

ヴェネツィアビエンナーレ
2010年のヴェネツィアビエンナーレで近藤哲雄+マティアス・シューラーが発表したCloudscapeは工場をリノベーションした会場に噴霧を焚くことで現出したオブスキュアな風景である。見通しのきかない閉ざされた空間で、吊り廊下を登り、降りる体験を経て、出口という一定のゴールがあるとはいえ、そこにはやはり何も現出してこない。北イタリアの寒々しい風景の中に、主人公ジュリアーナの夫である技師ウーゴが責任者をつとめる大型工場であり、現代の目から見れば、逆に76年に竣工しいまやパリの顔ともなったポンピドゥーセンターを思いださせられる。アントニオーニはヴェローナの工場地帯はもとより、フェッラーラ、メディチーナの高圧線の工事現場や、反転して南洋の青い海と白い砂浜をうつすとき、カメラの焦点距離をのばし、デフォーカスにより、抽象画のような曖昧でぼやけた風景を作り出した。それは人間自身の眼に擬せられたキャメラの操作である。こうした世界観を映像として実現するには、単に北イタリア特有のぐずついた空にキャメラを向けて事足りるわけではもちろんなく、オープニングのデフォーカスがその後の鬱屈とした灰色の画面に意味と彩をそえる。さらに、路上の行商のカートに載せられたりんごはすべて、静物画のりんごのようなにび色のペンキで塗られていた。ホテルの室内は、不貞の時間を終えると、身体の充足をあらわすようにほんのりとしたバラ色にそまる。カーテンやベッドシーツからベッドヘッドまで色が塗り替えられる。『赤い砂漠』において、ジュリアーナの心象風景は色彩によって表現される。これは撮影現場では当然のことながら物理的な作業が行われている。アントニオーニのこうした緻密な計画に基づく撮影は、ときに現実と物語の間の破綻を生む。アントニオーニの即興に基づく演出は登場人物のぎこちなさをいざなうし、俳優たちの反発を招くことにもなる。コラドを演じたイギリス人俳優のリチャード・ハリスハリー・ポッターの魔法学校長役)はクランクアップを迎えないうちにイタリアの地を去ってしまい、はりぼてのような曖昧で異様なラストシーンが生まれた。アントニオーニ的“不条理”は、監督の現実との闘争と撮影の困難さの結果でもあり、こうした破綻は意外とアントニオーニ自身の現実に対する不器用さと現実の状況により決定され、フィルムの操作で破綻をごまかしおさまりをつけているともいえなくもないだろう。