則天去私

ハルココロ
「則天去私」
天に則り私を去るの意。夏目漱石が晩年に文学・人生の理想とした境地。自我の超克を自然の道理にしたがい、生きることに求めようとしたもの。漱石自身の造語。



則天去私を現実逃避と読み替えると、そのココロは街歩き。


パヴィロン・ダルスナル(アルスナル)


アルスナルはパリ市の建築、都市計画に関する情報、資料、展示センターで、セーヌ右岸4区にある。アルスナルは、右岸と左岸を結ぶアンリ4世通りがサンルイ島にかかるシュリー橋の袂部分に位置する。アンリ4世通りの直線上に、東側にオペラ・バスティーユ、西側にアラブ研究所が配され、アルスナルは半径500mの同心円のほぼ中間。徒歩範囲に効率よく要素が収まっているので街歩きにはぴったり。というよりパリにいるととにかく歩かせられる。上手くできてる。


ちなみに、通りの名前が「アンリ4世」というのは伊達ではない。このあたりはアンリ4世(1553-1610;在位1589-1610)の時代から大砲の火薬製造工場のあった界隈。アルスナルの建物は、19世紀末、材木商だったロラン=ルイ・ボルニッシュ(1801-1883)の発注で1878-79年にかけて建設された。このジイサン、生涯汗水たらして働いて集めた2000枚の絵画コレクション、これで大衆向けの美術館を建てて世間のみなさまに恩返ししちゃるわい!…とばかりに完成させたのはいいものの、数年後にこの気のよいジジイがなくなると、娘はコレクションを売り払い建物は賃貸にだされたとさ、と。建物は、その後、食品工場、アルコール販売所…など経て、1922年にデパートでおなじみのサマリテーヌが買い取り、1931年にお洋服部門のアトリエを設置。パリ市が購入するのは1954年。アーカイブ設立を目的に建築家のベルナール・ライヘンとフィリップ・ロベールの手でリノヴェーションが行われた。1988年に現在のパヴィロン・ダルスナルのかたちでスタート。兵器工場、兵器庫を意味する「arsenal」はだからこの街の歴史の一片を引き受けたといえるだろう。というわけで、1980年代のバスティーユ界隈の再開発の中で、19世紀末というパリが都市として大きく成長し姿を変えた時期の面影を残す空間として、アーカイブというビルディングタイプがふさわしかったのは言うまでもない…ということかしらん。


本日のお目当ては「持続可能な建築展」Architecture durable。パリ市内およびパリ近郊で計画されたエコ的建築を集めてる。各々の建物に関し、どうエコなのか、その実効性はどの程度なのかは、よく分からないけど。パリで住宅やら公共建築を建てるコトが、ヒジョーに文化的背景を背負う、という重みは伝わる。まっさらな土地に建てるのではなくて、まあ理屈はシランプリしてたほうが整合性は取れるだろう…という日本人的事なかれ主義ではたちいかない。それはともかく。アルスナルは現在同時進行で3つの展示企画が進行中。かなりギュウギュウで展示に無理がある、ハッキリ言ってよく分からん…感じだけど、さすが気合で乗り切るところが凄い。ラテンパワー。


各パネルには、担当建築家の音声が吹き込まれた音声ブースつき。ロケンローラー気分でかわいい。写真はペリフェリック。


その脇にまばらに模型が置かれてる。なくなってる模型もあるのはなぜだろう。写真はSANAAのエコ住宅。


ちなみにフランスで「持続可能な開発」はディヴェロップマン・デュラーブル。英語のサステイナブル・ディヴェロップメントと、同じだけど、しかしホトケビト的には、同じではない!…と言いたがる。よって、(アメリカに影響されてはじめた)革命の国・フランスは伝統的に議論好き。そこで「環境」はここ数年の格好の酒のツマミだったようだ。なのでフランスの環境分野はとにかく議論、議論…でオレサマはこう思う!…と声高にさけぶのに躍起。てなわけで、日本の環境哲学とはナンヤネン?…と問われ、日本人はプラクティカルだからそんなものありません、と答えたら、そんなはずはない、イヤァナンかあルやろ…貴様が念仏さえ唱えられはったら説明できるはずやねん…と、エピステーメーの違い、というよりも、この4ヶ月の空隙のありかにようやく気づいた。ということで今日、この展示を見に出かけたのもかなり本能的選択によるのである。。


とかいって、この緑も水もあふれる美しき花の街では「環境」もファッション化されるのね…とアラブ研究所でミントティをいただきながら考えた。アーモンドの甘さが日々のずれを癒してくれる気がした。


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