中村宏の世界:消えた2ページ

東京都現代美術館でいま話題の中村宏展が開催されている。

その中村が手がけた児童書を発見。心の片隅に忘れかけていたけど引っかかっていた記憶がそこにあった。

『消えた2ページ』寺村輝夫・作、中村ヒロシ・え、理論社


近所の図書館で借り出した。まだ読み返していないけど、主人公が図書館の本の中の消えたページを探しに電車に乗る、とか、冒頭で主人公がホームルームの時間の「失言」で孤立無援になり居心地の悪い状況に陥るとか、悪魔的な「上級生」の存在とネチネチした追求に精神的に追いつめられるとか、常に電車に乗りこみナゾの駅へと目指すとか、「銀河鉄道999」と関連づけられて整理されていた小学生の頃の断片的な記憶がマアマア正しかったことを知る。ただしセーラー服少女は出てこなさそうだ。装丁や挿絵を見ると展覧会に出品された中村宏の作風ほどはオドロオドロしくない。


昨年亡くなった寺村さんのあとがきには

こわい話と思っただろう。おそろしい物語だと思ったかもしれない。ある日子どもに読ませたくないページが、何者かによって消されている。

とあるから、地平の果てのゼロ次元的な消失とか死への恐怖を子供にも漠然と感じさせてくれる物語だったのだと思う。何かを説明するのではなく感じさせる、ということが言葉のもつ創造/想像性であり、たぶんより子供向けの本に必要になってくる要素だと思う。主人公が他者や環境により精神的に追いつめられ場所なき場所的な駅をめざして旅に出る経緯は、胎児・赤ん坊時代の記憶をかすかに残す子供には生々しすぎた。主人公が見えない闇に向かって吸いこまれていくイメージに暗澹とし、図書室で半分ほど読んでそのまま書架に戻した記憶がある。だから物語の結末は今も分からない。

理論社」という出版社名も児童書出版業界の空気をなんとなく感じさせる。絵本も児童書も読んでみるとこの分野に関わる層の厚さに驚かされ、また読後に心をずしんとさせられることが多い。「子供」向けの本ってレトリックのレベルで言えば理想的な形態で、つまり最大限の意味をいかにシンプルに表現するかが問題になるのである。Less is more.


暇になったら読もう。実はそれどころではなかったりもするのだけど。