カンバセーションズ

先日、試写でオモシロイ映画を見た。アメリカの若手・ハンス・カノーザ監督の『カンバセーションズ』

ヘレナ=ボナム・カーターとアーロン・エッカート主演。10年前に別れた中年カップルが披露宴で再会し、一晩語り明かす…という話である。

シンプルさの中に過剰なナニかがうみだされている状態。成功した「作品」に多かれ少なかれ共通する要素がそこにある。

それらしい要素を組み合わせた命のないハリボテなら大したセンスや努力がなくてもできあがる。だけどそれを「作品」とはゼッタイに認めたくない、とも思う。チョット前にみた映画がそういう類のフィルムだった。マーケティング理論から弾き出された、しかし根拠ゼロの分析と製作側の頭の悪さ、そしてそこに否応なく巻き込まれてしまう様々なヒトやモノや状況の無念さが露骨に時間と空間を蝕んでいた。誰も悪くない、だけど全てが悪い。帰り道、あまりの後味の悪さにフィルムの醜悪さと無意味さをのろってみた。

そんな中で、作り物が見せるナニかしらの美しさが輝きだす瞬間に立ち会うと、生きているのもそんなに悪くないな、と思わせられる。世界のどこにいても、青空に白い雲が浮きただようのをみるだけで幸せになれる、そういうことだ。

『カンバセーションズ』はハリウッド的な大作ではないけれど、丁寧に作りこまれ、技術的にも内容的にも洗練されてる良質な作品だった。監督、脚本、編集、俳優、音楽…のどれをとっても失敗がない、というより、フィルムという1本の世界を構築することへのさりげないけど大きな愛が香りたつ。大人の知的な色っぽさもいいし、音楽やドレスもオシャレでカッコイイ、パリで大ヒットしたそうなので、ホトケ映画系が好きな人にはたまらないのではないか、ヒットの予感…というのは軽々しい感想だけど、そう思わせるのはたぶん作り手側の誠実さとそれを実現する手堅さがスクリーンを通してみるものに伝わるからだろう。

それはともかく、フィルムの出色はデュアルフレーム。85分の物語を終始一貫2つのカメラで捉え、長細いワンスクリーン上に複数の視点をひとつのヴィジョンとして映し出す。こういう技術的実験はたいていが「実験」に終わる。そして見るもムザンな、全く無意味な結果に陥りがちだ。特に映画がCG時代に入ってから「特殊」技術が物語世界の構築に貢献するのはホントにマレ…なのだけど、技術を技術として意識させずに物語世界に昇華させるカノーザー監督の編集と構成に上手さを感じる。内容的にもミニマルな質を保っている。密室での物語を会話とわずかな動きだけで成立させるのは非常に難しいのだけど、脚本と演出の仕上がりで、現実以上のシャープな生々しさを実現してる。

ハーバード大学出のインテリのカノーザ監督、宗教上の理由で15歳の時に映画を初めて(コッソリ)見た…という矛盾めいた生い立ちもクリエイターにとっては財産になる。監督とは同級生の間柄…という女性脚本家ガブリエル・ゼヴィンの描く男女のやりとりが終盤部に入ると、多少、女性的な妄想とご都合主義に描かれてるかな〜とも思わないでもないけど、逆よりマシだろう。

とはいえ、ナニヨリ、製作側と俳優の信頼関係というのも作品の成功に貢献しているだろう。若手チーム(監督・脚本)のコンセプトをスクリーン上で120倍以上に仕立て上げたヘレナ=ボナム・カーターとアーロン・エッカートの存在感は…ホントに魅力的。中年バンザイ。

2007年2月からシネスイッチ銀座で公開予定。
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