東京列島改造論

コワレソウナほど暑い真夏の東京…で考えた。亜熱帯に住むワタクシタチ、かつての温暖湿潤気候を取り戻しましょう…と思い、そのための私案「東京列島改造論」を考えてみた…。考えていたら、途中、絶妙なタイミングでPCフリーズし、書類は壊れ、本当にコワレかけたが、テクノロジーによる拒否反応など意に介さず、ここは書き直すことにする。


書きかけ版では、なんでこんなに暑いんだろう…と思いつつも、クーラーの設定温度を下げることに罪悪感を覚え、そう、地球の温暖化の一因はきっと熱風をふきだすクーラーである。ならば、東京のヒトビトがクーラーを積極的にきる生活をするにはどういう環境づくりが必要でしょう…と、クーラーのスイッチを切って考えだした。


対処療法として、とにかく真夏にヒトは生産活動をいっさいやめることを考えた。PCをきり、クーラーをきり、日影をさがし、土の上でひたすら眠ること…。しかしだ。もしかしたら、こんな提案は、日曜の昼までムリヤリホトケ語変換されるわがPCがもっとも報われないかもしれない。


そこでだ。もっと涼しい夏を演出するには、根本的な列島改造論が必要なのである。きっと遠くない未来に一度はやってくるとされる大地震を利用するのである。ここでカクエイ的?列島改造への熱意はだんだんヒートアップしてわがPCも熱さに負けたのである。


東京のアマゾン化を促進するのは日本の首都機能の一極集中現象である。日本のみならずアジアの政治、経済、産業の中枢機能が東京区部という狭い範囲内に集中・凝縮している。それにより過度なヒトと情報が過密している気がしてくる。その結果、都内では六本木やら汐留やら秋葉原で再開発が進められ、似たような高層ビル群が雨後のタケノコのようにピョコピョコと林立する。しかしだ。物理的にも機能的にもエネルギーが蓄積され臨界点をこえるといつかはコワレル。マグマと同じである。


たしかにインテリジェンス・ビルヂングの中にはいれば空調サイコ〜と思わせられないこともない。しかしだ。一歩ふみでて、ビルのはざまの熱風におされながらダレが歩きたいなど思うだろうか。ヒルズ(蛭ズ)ビルズのやけつくはざまを、アイスをダラダラとかしながら愉しげに歩くのはお盆観光にいそしむオジチャンオバチャンたちである。新しい開発地ならまだマシだけど、たとえば旧・淀橋浄水場跡地の新宿西口など一年中ジメっとした生臭いアスファルトの上を歩いていると、ひどく遣る瀬無い気分になる。


そこはもともと海や川や湿地が埋め立てられた地盤。そもそも再開発されるような長く見向きもされず放っておかれた土地は放っておかれるだけのそれなりの理由がありソウヤン。気持のよい風の吹き抜ける瞬間はほとんどない。コンクリートの下に埋め立てられた海や川や沼の呪いがじっとりと濁った瘴気を発し、イカンねー…などと地霊(ゲニウスロキ?)に同情しようものならついつい都市の怨念に溺れてしまいそうになる…。。なんて、理性を取りもどせば、東京一極集中は防衛・防災的にも安全ではない。ドッジボールなら、吹きだまりは格好の的、すぐに狙われるのだから…。


そこでだ。東京列島改造論、「東京箱庭計画」である。大地震が発生し復興が必要となったあかつきには、政治、金融、産業をそれぞれ京都、大阪、名古屋…などを拠点にする。企業法人の税金優遇策かナニかでどうにか移ってもらう。そして空き家になった東京の国際的な観光地化を狙うのである。。


で、せっかくの機会なので、埋め立てられた東京の自然を「元」の姿にもどす。海は海、山は山、川は川…の姿をとりもどし緑地を増やしてみたら大分涼しくなるだろう。さらに古地図や浮世絵に出てくる風景を再現してみるとか。

こんな感じ↓

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そのためには、ヴェネチアばりに個人の車の乗り入れを禁止し、移動は水上交通か自転車か飛脚…にすれば夏は涼しく冬は寒くてきもちよい。都内のハイウェイはすべてとっぱらう。これにより、今話題の日本橋・首都高問題もカンタンかつミゴトに解消…。ライフスタイル的にもキモノを奨励。それにより室内空調コストが削減され(男女の衣服の重量差解消)、おまけに誰もがコスプレ気分を満喫できる(興味ないけど)。さらに肉食から魚食にしワインも日本酒でもいいなあ。環境アミューズメントパーク化が可能である…。


海外的には、浮世絵トウキョウ!江戸レトロ!(UKIYOE ToKYO!EDO RETRO!)…とか宣伝すればよい。成田から都内に移動するその道すがら、なぜか急にキモノのヒトが増え、アレ〜…と惑わされているうちに、車掌さんも衣装替えして再登場…そんなニッポン的ココロクバリの風景の変化を楽しんでもらえれば、たぶん東京タワーよりも人気は出るだろう。東京という涼しくさわやかな劇場で、住民たちは日々、登場人物として活動するのだ…。


東京に集中した中枢機能を日本全国に分散し、貧乏になりかけた東京を観光都市化する。ともすれば明治に近代東京の原型を求めそうなところを、その前の江戸に戻して持続的成長をねらう。街全体が時代劇っぽくなればなんだか日常も楽しそうである。ついでに防災対策をとれば東京の夏もだいぶん涼しくなるだろう。


北斎や広重を眺めながら、東京を変えるより山上りしにいったほうが早いかな〜と単純な解決策に気づく。そしてツマラン小学生の夏休みに祖母宅の文学全集で読んだホフマン『悪魔の美酒』を想いかえした。ナマグサ神父が悪魔の妙薬を手に入れ、シタホウダイやりたい放題…という悪辣文学で一夏を楽しんだ。しかし読書感想文の題材にはしなかった。カビ臭い応接間の片隅で、ソーダ瓶の青いガラスをすべる水滴がひさもとにはらりとこぼれひやりとした瞬間、美酒は永久に過去、快楽は永遠に未来にあることをナントなくさとった。美酒と悦楽の間のタイムラグは決してうまらない。読み返したら、長過ぎてよみきれなかった。

そういえばこんなこと昔も書いたなあ…と、PCをあさっていたら、大学2年のときに「東京の見る夢」というレポートを書いていた。人生繰りかえすにせよ正しい道を選ぼう…。『卒業設計で考えたこと。そしていま 2』[amazon]ヨコミゾマコト氏の「テーマ設定はかなり慎重にやったほうがいいと思う。自分の体の奥から発する自分自身の言葉で説明可能な内容にすべきでしょうね。にわか仕込みや背伸びしてもボロは出ちゃうから。」というのはとても正しいと思う。できれば大学生のときに聴きたかったそのお言葉。ムリか…。

暑いなあ。