ドッジボール

dodge ball

履歴書の特技欄を書くときいつも迷うことがアル。「趣味:スポーツ(テニス、ジョギング   」と書いた後に、「ドッジボール」を書き加えるかいなかだ。

そう、わが人生でイチバン濃厚な勝利感の残るスポーツは、テニスでもジョギングでもなく、ドッジボールなのである…という事実認識が、ふいに脳裏をよぎるからである。子羊のようにオトナシくかつ柔和に成長した現在の姿からはワレナガラ想像できないが、苦労せずともドッジボールだけは負け知らずだった。重いボールを落とすように投げ、走る、逃げる、追う、狙う、あてる…というシゴク単純な要素で構成される小学校低学年スポーツ、危険をかいくぐりながら、子羊の皮をかぶった黒い心臓でバタバタ敵を減らしていく…のが楽しかった。

さすがに10年以上ブランクがあり、いま現在「特技」であるかは検討の余地がアル。とはいえ履歴書に「特技:運転」と書くよりは虚偽事実にはあたらないと思う。一般にヒトのイヤガルことを率先して行っている…点でも、もしかしたら「ドッジボール」挿入は積極性のアピールとして相応しいかもしれない。

それはともかく、とはいえ、いまさらながら、ドッジボールがもつ本質的なシンプルさを見直すとき、梅雨のにごった視界に爽やかな風がふきこまれたようなクリアさに気づく…かもしれない。

yahoo.comの辞書によれば、「dodge」とは、

1. To move aside or in a given direction by shifting or twisting suddenly: The child dodged through the crowd.
2. To practice trickery or cunning; prevaricate.
(ETYMOLOGY: Origin unknown)

…つまり、他者という危険が前提的にあり、そこからいかにスバヤク、ズルガシコク、身をかわすか…かがドッジボールなのである。フーム。スポーツというよりは生存競争である。

ウィキペディア(日本語版)によれば、ドッジボールの起源として考えられるのは以下の通りである。

ドッジボールの歴史は古く、旧石器時代にマンモスを落とし穴に落として岩石をぶつけた狩猟が起源では無いかとされている。」

コレ↓more detail

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%B8%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB

恩師公園のサル山を見ているとふと郷愁に襲われる。ドッジボールもわが遺伝子の記憶の中に刻まれているのだろうか。少なくともバスケやサッカーやら頭のよい大人に好まれる洋風スポーツはゼンゼンできないから、やはり罠をしかけてマンモスにボールをポコポコあてて命をつないだ大陸の先祖の情念ゆえなのかもしれない。フーム。ヒトもまたマンモスのように逃げ切れないクライ穴の中で、それでもどうにか危険から身をかわし続けようとしたのである。

「スポーツ」の起源にはヒトのもつ凶暴さの制度化があり、わたしたちは社会化された野生を前に、ヒトトキ理性から解き放たれる。たぶん、ドッジボールは「生」のモデルであるからこそ、人生最初に巡りあわせられる「スポーツ」なのかもしれない。くらいに単純な戦術がイチバン相応しいのだろう。走る、逃げる、狙う、あてるという…。シンプルであるからこそ、それぞれの技術を磨くことで生きることの質も少しは洗練されるかな…と近所のイヌがひなたでひがな寝転がるのを見ると、ヒトに進化?して損した感情もわいてくる。

国内よりすぐりのサッカー選手が世界の壁に阻まれるのを見ながら、壁は高ければ想像力も広がるかも…と羨ましいとも思った。サッカーが始まる前に寝よう…。